私事だが、1995年4月に中小企業診断士に登録し、ちょうど30年になる。この7月に60歳になるので、人生のほぼ半分を診断士として過ごしてきたことになる。ここまで続けてこられたのは、様々なご支援・励ましをしていただいた皆さまのおかげです。ありがとうございます。
今週は、ジジイの昔話に少しお付き合いいただきたい。
大学を出て入社した日本石油(現ENEOS)で、倒産の危機に陥った代理店の経営改革を支援する機会があった。「企業経営って面白そうだ。ちゃんと勉強してみるか」と思い、自己啓発のために診断士を取得することにした。
診断士に登録した直後、中小企業診断士協会という業界団体の機関紙に「これからの診断士は、中小企業を立て直すために支援するだけでなく、立ち行かない企業には円滑な廃業を促す必要がある」という主旨の文章を寄稿した。
この記事を見た先輩診断士から、「経営者に向かって『廃業しろ』と言うのか。若造が偉そうなことを言うな!」「中小企業の発展を支援するのが我々診断士の役割だ。そういう気がないなら、お前は診断士を辞めるべきだ!」とボコられた。
ちょっとマズいことを言ったかなと思っていたところ、中小企業診断協会の中谷道達副会長からお電話をいただいた。「日沖先生のおっしゃることは、非常に大切だ。協会内にプロジェクトを立ち上げて一緒に取り組みましょう」と言われた。そして、協会に「転廃業指導マニュアル」作成プロジェクトが立ち上がり、私はメンバーとして参画した。
中小企業診断協会という組織のナンバー2が新人会員に向かって「一緒にやろう」と誘ってくれたのは、硬直化した巨大企業に勤める私にとって非常に新鮮だった。さらに、色んな素晴らしい先輩プロコン(プロのコンサルタント)と出会って、プロコンを職業として意識するようになった。
その後、世界で最初のコンサルティングファームであるアーサー・D・リトルが経営するMBAに留学する機会があり、ピーター・スコット=モーガン先生らの薫陶を受けて、ますますプロコンが身近になった。こうして2002年に「人生二毛作」ということで、会社を退職し、プロコンを始めた。
独立開業後についてはここでは書かないが、色々な人と出会い、アドバイス・叱咤・激励・支援をいただいてここまでやってこれた。こうして振り返ると、診断士は人と人を繋げ、色んなチャンスを与えてくれる資格だと改めて思う。
ところで、「廃業支援」は診断士として私の使命、あるいはライフワークである。30年前に「転廃業指導マニュアル」作成で素晴らしいスタートを切ったのだが、実はその後の進捗はパッとしない。
中小企業庁や関係機関に「廃業支援を強化しましょう!」と何度も働きかけたのだが、中小企業基本法が「中小企業の多様で活力ある成長発展」とうたっていることから、「日沖さんのおっしゃることはわかるんですが…」というもどかしい状態が続いている。
この30年間、診断士の世界では、診断士の若返り、質の向上(昔は試験が簡単でアホでも受かった)、現役世代の独立開業の増加、補助金ビジネスの隆盛、副業コンサルタントの増加など色々な変化があった。今後は、「廃業支援」などにも支援領域を広げて、真に中小企業・日本経済にとって欠かせない資格になってほしいものである。
(2025年4月14日、日沖健)