世界的に見て日本人の幸福感は低く、しかも低下傾向にあることが、各種の国際統計で明らかになっている。その原因として、この30年以上、日本経済は不振で、家計の厳しさが増していることがよく指摘される。
ただ、日本人が貧しくなったから不幸になったというのは、おそらく間違いではないものの、「本当にそれだけ?」と思ってしまう。なぜなら、多くの日本人は外国人と比べて金銭的な欲求が低く、むしろ幸福の条件として「安全な生活環境」や「良好な人間関係」といった非金銭的な要素を重視しているからだ。
非金銭的な要素のうち、国民の要望が強い「安全な生活環境」について、近年の変化と幸福感に与える影響を確認しよう。
最近、殺人事件が報道されるたびに、ネット掲示板やSNSでは「犯罪が多発し、凶悪化し、物騒だ」「日本の安全神話は完全に崩壊し、安心して暮らせない」という不安の声が上がる。
しかし、警察庁の統計によると、日本の殺人事件の認知件数は、昭和29年の3,081件をピークにほぼ一貫して減少傾向にあり、2021年以降は1,000件~1,100件という低水準である。他の凶悪犯罪(強盗・放火など)も同様だ。貧しい若者が多かった戦後の混乱期に凶悪犯罪が多かったのは、当然だろう。
日本は近年どんどん安全になっており、それと反比例して国民は不安になっているわけだ。このパラドックスをどう考えるべきか。
安心は安全の上位欲求だ。つまり、物理的に安全な状態が実現すると、人は安全に飽き足らず、心が安らかな状態、つまり安心を求める。銃社会でまだ安全でないアメリカでは安心は問題にならないが、すでに安全な状態が実現した日本では次の段階として安心がクローズアップされる。
安心は気持ちの問題なので、終わりがない。仮に殺人事件がゼロになって完璧に安全になったとしても、「また事件が起こるのでは」という不安な気持ちは消えない。
もう一つ大きいのが、インターネット・SNSの普及だ。昭和の時代の新聞では、人を1人殺すくらいでは全国紙に載ることは少なく、大半が地方紙に載るだけだった。しかし、今日、殺人事件はもちろん、近所に不審者が歩いているというだけでもインターネット・SNSで瞬時に全国に情報が共有される。犯罪が激減しているのに、犯罪情報は氾濫している。
朝から晩までインターネット・SNSで犯罪情報に触れると、常に身の周りで犯罪が起きているという錯覚に陥り、不安心理がどんどん高まっていく…。
こうしてみると、1995年からインターネットが普及したことも併せて、近年の日本人の幸福感の低下は、インターネット・SNSの普及によるところが大きいと考えられるのだ。
なお、インターネット・SNSによって世界中の色々な人と繋がり、「良好な人間関係」が形成されるので、インターネット・SNSには人々の幸福感を高める側面がある。一方、インターネット・SNSのやり取りで人間関係が崩壊したり、誹謗中傷でメンタルをやられたり、自殺に追い込まれることもあり、負の側面も大きい。
ということで、日本人の幸福感とインターネット・SNSの関係については検証するべき点が多いが、「インターネット・SNSの普及によって生活・ビジネスは便利になったが、こと日本人については、不幸になった」というのが私の暫定的な結論である。
(2025年3月24日、日沖健)