私は2002年から22年間、コンサルティングで生計を立てている。また、社会人1年目の1988年から36年間、株式投資で資産形成に努めている。ともに、かなり大真面目に取り組んでいる。
ところで、世間の多くの人が、コンサルティングや株式投資を「虚業だ」と批判する。
「コンサルティングって、他人にあれこれとケチをつけるだけで、まったく無責任な商売だ」
「株式投資って、株を売り買いするだけで、世の中に何も価値をもたらしてない」
一般に人は、自分が心血注いで取り組んでいることを他人から否定されると、猛烈に腹を立てるものだ。
私の場合、「コンサルティングは虚業だ」と言われても、「ああそうですか」と別に腹が立たない。一方、「株式投資は虚業だ」と言われると、かなり腹が立つ。コンサルティングはご批判の通り虚業で、株式投資は実業だと考えているわけだ。
虚業とは何だろうか。人によって定義はまちまちだろうが、「価値を生み出していない」「責任を伴わない」という2点が条件だと思う(あと、汗水を垂らさない知能労働を虚業だと断じる人もいるが、そういう知能の足りない人は無視)。
まず1点目の「価値」については、コンサルティングも株式投資も、社会に大きな価値をもたらしている。コンサルタントが良いアドバイスをし、クライアント企業がそれを実践すれば、企業、引いては社会が発展する。投資家が良い企業に投資すれば、企業が資金を使って事業をし、企業・社会が発展する。
大きく違うのが、2点目の「責任」だ。コンサルティングでは、企業がコンサルタントのアドバイスを採り入れるかどうかを判断し、自らの責任で実行する。コンサルタントは言いっぱなしで、結果に対して責任を負わない。
一方、株式投資では、投資家は株価が上がれば値上がり益を得られるが、下がれば損失を被る。投資家は企業と一心同体である。というより、そもそも企業は投資家の所有物である。
私がコンサルティングは虚業、株式投資は実業と考える理由は以上の通りだが、ここで厄介なのは、「じゃあ、コンサルティングも成果主義にするべきなんですね」という意見をよくいただくことだ。
近年、補助金申請支援やM&A仲介などで成果主義の報酬が広がっている。ただこれは、「成果が出せたら報酬をいただきます、出せなかったら無料です」ということで、成果が出なかったときの責任まで負うわけではない。
コンサルタントが成功報酬で仕事を請け負うと、長期的に企業を発展させる取り組みよりも、リストラ・コスト削減といった短期的・一時的に株価が上昇する戦略をアドバイスすることになりやすい。マッキンゼーを事実上創業したバウアーは、こうした問題点から成果主義の報酬を強く戒めている。
では、昭和の大御所コンサルタントのように、クライアントに出資をするというやり方はどうか。これなら、利益も損失もクライアントとともにする一心同体の状態になる。責任という問題はなくなるが、これって投資家と同じではないか。
結論的には、コンサルタントに成果主義の報酬や出資はなじまない。コンサルタントは虚業のままで良いのではないだろうか。「虚業だ!」という批判を気にせず、クライアントに価値あるアドバイスをすることに徹すれば良いのではないかと思う。
(2025年1月13日、日沖健)