私はあなたの人生の傍役

敬愛する人から勧められて、遠藤周作『生き上手 死に上手』を読んだ。『沈黙』などの名作で有名な昭和の文豪・遠藤周作のエッセイ集である。

より良く生きるためのヒントが満載の珠玉のエッセイ集だが、中でも考えさせられたのは、標題の「私はあなたの人生の傍役」というエッセイである(「傍役」は「脇役」と読みも意味も同じ)。エッセンスを引用する。

「芝居には傍役というものがある。……我々は我々自身の人生ではいつも主役のつもりでいる……たしかにどんな人だってその人の人生という舞台では主役である。そして、自分の人生に登場する他人はみなそれぞれの場所で傍役のつもりでいる。だが……自分の人生では主役の我々も他人の人生では傍役になっている。たとえばあなたの細君の人生であなたは重要な傍役である。……我々は、傍役である身分を忘れて、まるで主役づらをして振舞っていないか」

言われてみれば「そりゃそうだね」という話だが、私を含めて大半の人が持ち合わせていない視点だ。人はどうしても、自分が主役として振る舞い、他人の傍役であることを意識しない。

どんな人も、他人と関わって生きている。ということは、すべての人が主役であると同時に傍役でもあるわけだ。傍役という立場を意識し、関わる人に対して「どうせなら、良い傍役になろう」と心がければ、人間関係が良くなりそうだ。この傍役の意識が世界の人々に広がれば、世界に平和が訪れそうだ…。

このエッセイを読んで、まずは家族・友人といった身近な人に対し傍役という立場を意識して接しようと思った。

ところで、遠藤周作の高尚な文章の後に取り上げるのは気が引けるが、コンサルタント業界を見渡すと、この傍役という意識がまったく欠落している。

近年、外資系コンサルティングファーム(ガイコン)が東大など一流大学の学生の就職先として人気のようだ。人気の理由は、自分の知能が生かせて、仕事が面白く、成長機会が多い、ということらしい。あくまで自分が主役で、奉仕するクライアントのことが忘れ去られている。

学生や若手コンサルタントが自己中心的なのは、まあ致し方ない。ところが、ベテランでも似たり寄ったりだ。

たいていのコンサルタントは、口では「すべてはクライアントのため」「顧客第一」と言うが、「俺が、俺が」とガツガツしている。コンサルティングをしてちょっとばかりクライアントの業績が上がると、「俺のコンサルティングの成果だ」と自慢する。クライアントに補助金不正受給をそそのかして暴利を貪る輩が後を絶たない。

コンサルタントが人気職業になったのに、世間から「鼻持ちならない」「胡散臭い」と毛嫌いされるのは、クライアントにとって傍役という本来の立場を自覚していないからだろう。

「コンサルタントはクライアントの傍役」、改めてすべてのコンサルタントが意識したいものである。

 

(2024年10月21日、日沖健)