壊れたテープレコーダーと壊れた時計

兵庫県・斎藤元彦知事の不祥事が問題になっている。パワハラやおねだりについて部下やマスメディアから多数の告発・批判を受けているが、斎藤知事は罪を認める気配も辞職する気配もない。記者会見などで「(パワハラではなく)業務上必要な指導」「(私は)県民の付託を受けた」「行政を前に進める」と繰り返し否定している。

半年以上に渡ってまったく同じ言葉で告発・批判を否定する斎藤知事を、メディアやSNSは「壊れたテープレコーダー」と揶揄している。考えてみると、テープレコーダーは壊れても同じ音を流さないわけで、「壊れたレコード」と表現する方が適切かもしれない。まあどちらでも、50歳未満の人には理解不能だが…。

ところで、「壊れたテープレコーダー」という言葉を聞くと、株好きの私は「壊れた時計」を思い起こす。作家マーク・トウェインは「壊れた時計でも1日2度正しい時間を示す(A broken clock is right twice a day.)」と言った。

株式市場にはいつも同じ予想を繰り返すアナリストがいて、投資家から「壊れた時計」と揶揄される。代表的なところでは、いつも「上がる」と言い続ける武者陵司さんや平野憲一さん、いつも「下がる」と言い続ける森永卓郎さんや馬渕治好さんである。

「壊れたテープレコーダー」(斎藤知事)と「壊れた時計」(森永さんら)では、どちらが問題だろうか。

聞く人の気分を害するのは、断然「壊れたテープレコーダー」である。テレビで斎藤知事の顔を見ると、腹が立って仕方ない。あれだけ批判を浴びても動じないメンタルはすごいが、国民が怒り狂う姿を見て楽しんでいるのかと思ってしまう。

それに対し、「壊れた時計」の相場予想を聞いても、別に気分を害することはない。むしろ武者さんや平野さんの楽観予想は、投資家を明るい気持ちにさせてくれる(なので、予想を外し続けても需要がある)。

では、実害という点ではどうか。斎藤知事の釈明には、実害はない。斎藤知事の「おねだり」が収賄罪に当たるかどうか、「指導」がパワハラに当たるかどうかは、裁判所が客観的事実に基づき決めることだ。彼が何を言っても、裁判には影響しない。また、斎藤知事の釈明が我々の生活に悪影響を与えるあるわけでもない。

一方、「壊れた時計」には、かなり実害がある。多くの投資家がアナリストの予想を元に取引をするからだ。森永さんは、今回の暴落を“当てた”ことに気を良くして、「暴落時には市場から撤退するべし」「日経平均は1万円まで下がる」とはしゃいでいる。ただ森永さんのアドバイスに従ったら、高値で買って安値で損切りするだけだから、絶対にお金持ちにはなれない。

ということで、「壊れたテープレコーダー」を聞くと気分が悪いし、「壊れた時計」を見ると財産が減ってしまう。どちら有害なので、無視するに限る。やはり壊れているものは、ロクなものではないということだ。

とここまで書いたところで、次女から先日、「最近パパは同じ話をすることが多い」と言われたことを思い出した。「壊れたテープレコーダー」や「壊れた時計」よりも、「壊れた(のにそれに気づかない)コンサルタント」の方が色んな人に迷惑をかけそうだ。反省している。

 

(2024年8月26日、日沖健)