甲子園でプレーできたら死んでもいい?

先日、元高校球児と飲む機会があった。時節柄、夏の甲子園の話題になった。私が「この炎天下に野球をやる選手って可哀そうだね」と呟いたら、元高校球児がビビッと目の色を変えて反応した。

「可哀そうなわけないだろ。選手はみんな甲子園でプレーできたら、熱中症で倒れても構わないと思っている」

私が「昭和の頃と違って、最近の暑さは半端ない。『倒れて構わない』っていまの高校球児に確かめたの?」と尋ねたら、元高校球児は胸を張って次のように答えた。

「先日、お手伝いをしている少年野球の子供たちに『暑さは大丈夫?』って聞いたら全員が『暑さは苦にならない』という答えだった。『将来もし甲子園に出られたら、グランドで死んでも構わない』と言う子もいたよ」

私は「へえ、そうなんだ」と返し、それ以上この話題を掘り下げなかった。しかし、元高校球児と別れた後、「暑さは苦にならない」「死んでも構わない」と答えた少年たちの気持ちをおもんばかった。

世の中には、「暑いのは苦手」という子供がたくさんいる。ただ、そういう子供はもともと炎天下でやる野球は眼中になく、暑さを苦にしない子供たちだけが野球をしているだろう。それでもこの暑さだと5人に1人くらいは、内心「クソ暑いなぁ。勘弁してほしい」と思っているに違いない。他の子供たちの「暑さは苦にならない」という言葉を聞いて本音を言えなかったとしたら、可哀そうだ。

つまり、子供全体で見ると「この暑さは勘弁して欲しい」という声が多数あるのに、「暑さは苦にならない」という勇ましい言葉だけが周りに伝わっている。

日本人は空気を読んで発言を控えるので、これと似た状況がよく起こる。典型例として私が思い起こすのが、1701年の赤穂事件、いわゆる忠臣蔵である。

最終的に47人の浪士が討ち入りしたが、約500人いた赤穂藩士の大半は、藩のお取り潰しを受けて「リストラされちゃったよ。バカ殿様のせいでいい迷惑だぜ」と第二の人生を探した。ただ、討ち入り後47士の人気が沸騰すると、気まずくなった彼らは口をつぐんだ。寺坂吉右衛門のように、討ち入りに参加しなかったことを縁者からなじられ、自害に追い込まれた者もいる。

討ち入りした47人は、揃って「主君への忠義」を誓った。しかし、本音はどうか。1672年の浄瑠璃坂の仇討で父の仇を取った奥平源八がいったん流罪になった後、すぐ放免され彦根藩に再就職している。堀部安兵衛ら多くの浪士が浄瑠璃坂の仇討を熟知しており、「討ち入りで武名を上げて再就職したい」という気持ちが心の片隅か中心にあっただろう。

結果として、「主君への忠義なんてどうでも良い」という当時のメジャーな声は封印され、「主君への忠義」というかなりマイナーな考え方が「武士の本懐」とされ(1716年に書かれた『葉隠』によって「主君への忠義」という考え方はメジャーになった)、現在に至るまで語り継がれている。

今週木曜日は79回目の終戦記念日である。先の戦争では、多くの若者が「天皇陛下のために」「国家のために」戦い、命を落とした。心からそう思っていた若者もいただろうが、相当数が「死にたくない。でも、自分の命を惜しむのは不謹慎だ」と葛藤していたのではないだろうか。

SNSが普及した現代、誰もが思ったことを自由に発信できる。しかし、自由になっても、なかなか言えない、言わない意見があるのではないだろうか。声にならない本音をしっかりくみ取る社会でありたいものだ。

 

(2024年8月12日、日沖健)