やっぱり渋沢栄一はアウトでしょ

7月3日から紙幣が刷新され、新1万円札の図柄は渋沢栄一になった。最高額面の紙幣を飾るのは、いわば「日本の顔」。その国を象徴する人物や風景が選ばれるのが、世界の常識だ。しかし、渋沢が「日本の顔」になったことには、大きな疑問符が付く(以下は、昨年6月22日の本欄のリライトである)。

まず、渋沢栄一の私生活。祖田浩一編『好色家艶事典』によると、渋沢は明治時代の花柳界で5本の指に入るスーパー遊び人だった。妾を抱え、妻・妾と同居していたという。渋沢には、認知しただけも20人の婚外子がいた(全部で50人超とか)というから驚きだ。

明治時代の資産家・有力者が妾を持つのは珍しいことではない。ただ、「今とは時代が違うから」と済ませるには度が過ぎるのではないか。また、妾と同居させられた妻の気持ちはいかばかりか。新1万円札には内外の人権団体・女性団体や国連・国連女性差別撤廃委員会から抗議の声がありそうだ。そもそも女性が、新1万円札を「キショイ!」と敬遠しそうだ。

それよりも疑問なのが、渋沢は「日本を代表する経済人」と言えるのか、という点だ。

渋沢は、民部省・大蔵省の役人から実業界に身を転じ、日本初の銀行である第一国立銀行(現みずほ)を設立した。第一国立銀行を起点に株式会社組織による会社の創設・育成に取り組んだ。91歳で亡くなるまで、約500もの会社の設立・経営に関わった。渋沢は「日本の資本主義の父」と言われるように、日本の資本主義の生成・発展に大きく貢献した。

ただし、500もの会社となると、当然1つ1つの会社への関与は限られる。第一国立銀行や東京ガスなど渋沢が初期に設立した会社はともかく、大半の会社では、少額の出資を引き受け、形ばかり社外取締役などに就任し名前を貸したに過ぎない。起業家たちは、資金と「俺のバックには渋沢御大がいるんだぞ」という信用力を得るため、渋沢に群がった。

金を儲けても貯め込む成功者が多い中、世の中のために使った渋沢の行動は、称賛に値する。しかし、儲けた金を投資することが、現代日本の経済人に最も必要・重要なことではないだろう。お金持ちになった後の金の使い方よりも大切なのは、世の中を発展させる革新的な事業を自らの手で作り出すことだ。アップル株に投資しているウォーレン・バフェットよりも、アップルを作ったスティーブ・ジョブズの方が偉大なのだ。

渋沢は、メインは投資家で、起業家としては第一国立銀行・東京ガスなど国内インフラ企業の創業に協力しただけだ。経営史学では、“出資型経営者”と言われる。それよりも、三菱商事・ホンダ・パナソニックといったグローバル企業を作った岩崎弥太郎・本田宗一郎・松下幸之助など“起業家経営者”の方が、はるかに「日本を代表する経済人」だと思う(個人的には岩崎弥太郎を推すが、その理由は長くなるのでまたの機会に)。

ということで、渋沢は新1万円の顔にまったくふさわしくないわけだが、ここでふと思うのは、日銀・黒田総裁(当時)が、どうしてこんな選択ミスをしてしまったのか、という点だ。策士とされる黒田総裁には、以下2つの深謀遠慮があったのだろう。

一つは、キャッシュレス化だ。やがて渋沢の不埒な実像が国民・世界に知れ渡り、女性が新1万円札を敬遠し、早晩2千円札のように使われなくなる。マスコミや国民が「渋沢に代わる新札を作るべきでは?」と騒ぎ出す。ここで、政府・日銀は、世界では高額紙幣がほとんど使われなくなっているという実態にようやく目を向ける。そして203×年、電子決済を普及させるために1万円札(や5千円札)は廃止される

もう一つは、少子化対策だ。20人もの子供を作った渋沢は、一夫一妻制になった明治時代以降で最も少子化対策に貢献した日本人であろう。この功績が広く知られるようになり、若いカップルの間で、新1万円を拝んで「子宝に恵まれますように」と願をかけるのがトレンドになる

とすれば、渋沢は極めて適切な「日本の顔」なのかもしれない。

 

(2024年7月8日、日沖健)