哲学者と押し問答になった

先日、ある大学教授Y氏の「社会科学の哲学」という講義を聴講した。その中でY氏が「囚人のジレンマ」を解説した。

囚人のジレンマとは、ミクロ経済学の行動選択の理論である。逮捕された2人の共犯者がともに黙秘するのが、2人とも刑が軽いというベストの結果になるのに、ともに自分が抜け駆けしようと自白し有罪になってしまう。各人が自分の利益を最大化しよう行動とする結果、協調した場合よりも悪い結果になってしまうというわけだ。

一通り解説が終わったところで、私はY氏に質問した。「2人の囚人が経済学者で、囚人のジレンマについて熟知しているとしたら、結果は変わってくるんですか?」

Y氏は明らかに怪訝そうな表情で、3秒くらい考えた後、ぼそっと一言「おそらく結果は変わらないでしょう(2人とも自白する)」と答えた。そして、私を無視して次の話題に進んだ。

Y氏が「結果は変わらない」という結論だけで理由を説明してくれなかったので、ChatGPTで調べてみた。すると、Y氏とは少し違った結論と丁寧な解説が出ていた。そこで、講義終了後に、ChatGPTの画面を見せながら、再びY氏に同じ質問した。

以下は、Y氏と私の会話である。

日沖「囚人が経済学者なら、結果は少し変わってくるんでしょうか?」

Y氏「あのね、囚人というのはあくまでも例えにすぎない。協調か、裏切りか、というのがこの問題の本質だ」

日沖「で、その本質はさておき、結局、経済学者だと結果は変わってくるのでしょうか?」

Y氏「だから、囚人というのは単なる例えで、この問題の本質じゃない。あんたはこの問題の本質が理解できないわけ?」

日沖「それは40年前(大学1年生の頃)から知っています。本質じゃないことは、疑問に思ってはいけないんですか?」

Y氏「疑問に思うのは勝手だが、俺が答える必要はないだろ!」

 最後の方は、Y氏は、自分の意に沿わない頓珍漢な質問をして引き下がらない私にブチ切れていた。

 この押し問答で、私は現代の哲学者について2つ感想を持った。

<感想1> 哲学者・孔子は聖人君子だったらしいが…。現代の哲学者ってこんなにキレやすいの?

<感想2> 哲学者・アリストテレスはアゴラで民衆と対話したらしいが…。自分が本質だと思うこと以外は答えないって、現代の哲学者は宗教指導者とどう違うの?

もちろん、Y氏一人だけを見て哲学者を「キレやすい」「カルトリーダー」と決めつけるわけにはいかない。一事が万事と決めつけたことを、反省した。

ところで、帰宅してこのやり取りを家内に話したところ、家内が「そういえば、あの哲学者もしょうもなかったね」と言った。

「あの哲学者」とは、先日私が出演した東京MXテレビの討論番組で共演した大学教授K氏である。家内はK氏のことを「なんかどうでもいい薄っぺらい体験談をベラベラしゃべってたよね」と評した。

という家内の援護射撃を聞いて、昼間「決めつけは良くない」と反省したのも束の間、「やっぱり哲学者って酷いなぁ」と思った(反省の気持ちは長続きしない。反省。という2度目の反省はいつまで続くか…)。

日沖夫から「キレやすい」「カルトリーダー」、日沖妻から「薄っぺらい」と酷評された哲学者。どなたか哲学者から反論を聞いてみたいものである。

 

                                                                          (2024年7月1日、日沖健)