6月1日から新しい税金「森林環境税」が始まった。住民税の納税義務者約6,200万人に対し1人年1,000円を上乗せで徴収し(税収は約620億円)、森林整備に活用するというものである。
同時に始まった定額減税の陰に隠れてこの新税に対する関心は低いが、一部から「不要な税金ではないか」「環境の名を借りた財務省の姑息な増収策」といった批判が出ている。すでに2019年から始まっている「森林環境贈与税」のうち47%に当たる495億円が活用されていないという。批判は、まったくその通りだと思う。
では、仮に森林保護の財源が必要で、適切に使用されるとしたら、国民は新税に賛成するだろうか。やはり「反対」と叫ぶだろう。昨今、インフレで値上げラッシュのところに、増税・社会保障費引き上げなど国民の負担増が目白押しで、「とにかく負担増はまっぴらごめん」というわけだ。
ただ、物資の価格や人件費が上がっていることも、国家財政がひっ迫していることも、紛れもない事実だ。行政サービスを維持するためには、何らかの増収策が必要である。「増税には反対、行政サービスが悪化するのも反対」という虫のいい話はありえない。「国債発行で賄って、子や孫が払ってくれればいい」というのも無責任だ。
ここで確認したいのが、「公共性」と「受益者負担」という考え方だ。
公共性とは何だろうか。経済学によると公共財とは、非競合性と非排除性を満たす財である。非競合性とはある消費者がその財を利用しても別の消費者の利用を妨げないということ、非排除性とはその財の利用に対価を払わない消費者を排除しないということだ。
たとえば、一般道は、あるドライバーが利用しても別のドライバーの利用を妨げない(非競合性)し、お金を払わなくても利用できる(非排除性)ので公共財だ。高速道路は非排除性を満たしていないので公共財ではない。皆がタダで見ることができる民放は公共財だが、受信料を払わなくてはいけないNHKは公共財ではない(よく「NHKは公共の電波」と言われるが、経済学的には怪しい)。
公共財については、税金などで広く一般国民が費用を負担することが望ましい。それに対して公共財ではない一般的な財を提供するための費用は受益者負担、つまり財を利用してメリットを受ける人が負担するのが合理的だ。
森林を日本国民の公共財だと考えるなら、森林環境税の導入は合理的だ(もちろん森林保護のために財源確保が必要不可欠だという前提で)。一方、森林を林業従事者の収入源だと考えるなら、森林環境税は納得できない。
先月話題になったのが、国立大学の学費値上げの是非(「国立大学の学費値上げについて」参照)。国立大学は公共財だろうか。国立大学は入学試験を突破した者しか利用できない(競合性)し、授業料を払わなくてはいけない(排除性)ので、公共財ではない。よって受益者負担で、学生や親が費用を負担するべきである。財源が足りないなら値上げするべきだ。
増税の話題になると、メディアはよく「国民の誰もが嫌がる増税ですが」という枕詞を付けるが、そんなことはない。スウェーデンでは、行政サービス(とくに福祉)を充実させるために国民が消費税の引き上げを求めており、消費税率は25%に達する。増税大歓迎だ。
日本人が「増税はすべて悪」と考えるのは、スウェーデンと違って行政に対する信頼が低いからだろう。「行政が非効率で、税収はきっと無駄遣いされるに違いない」ので「とにかく、国に金を渡すな」と考える。増税に当たって、行政の信頼性を向上させることが大きな課題だ。
昨今のインフレ・高齢化・国家財政の困窮などを考えると、増税はまだ序の口だろう。この機会に公共性と受益者負担について確認し、増税の是非を冷静に判断したいものである。