経営者の良し悪しを評価するのは難しい

伊藤淳二氏(以下、敬称略)が3年前に亡くなったことが先週わかった。享年99歳。ご冥福をお祈りする。

伊藤淳二といっても若い方はご存じないだろうが、鐘紡(カネボウ、現クラシエ)と日本航空の会長を務めた、戦後の日本を代表する経営者の一人である。

鐘紡は、1887年に創業し、明治から昭和初期にかけて売上高日本一を誇った名門企業である。戦後の繊維需要の減少に対応し、1968年に社長に就任した伊藤は「ペンタゴン経営」を推進した。これは、繊維・化粧品・食品・薬品・住宅の5事業を展開する多角化戦略である。化粧品や食品を中心に、鐘紡はバブル期にかけて息を吹き返した。

日本航空は半官半民だったが、中曾根政権下で民営化を進めた。1985年のジャンボ機墜落事故などで日本航空の経営再建が急務になると、中曾根政権は伊藤の鐘紡での実績を高く評価し、日本航空の会長に抜擢した。ちなみに、山崎豊子の名作『沈まぬ太陽』のモデルは伊藤である。

伊藤は日本航空で事故の原因究明と再発防止に向けて経営改革を主導したが、労務政策で社内外の反発を受け、わずか2年で任期途中で辞任した。その後日本航空は、労使対立が解消されず、不採算路線の整理も進まず、2010年に会社更生法を適用し、事実上倒産した。

カネボウに復帰した伊藤は、1992年に名誉会長になるまで、24年に渡って権力を握り続けた。バブル崩壊後、化粧品以外の事業が不振に陥り、2004年には産業再生機構の支援を受けた(事実上、破綻)。最終的に多くの事業を新会社クラシエに移管し、カネボウの法人格は2008年に消滅した。

つまり、伊藤は鐘紡・日本航空という日本を代表する大企業の破綻を招いたことになる。という事実から、伊藤の死を伝えるYahooニュースの掲示板には、「典型的なダメ経営者」「次から次へと会社を潰す疫病神」といった辛辣なコメントが並び、「ご冥福をお祈りします」という追悼コメントは少なかった。

たしかに、鐘紡・日本航空の破綻という結果だけを見ると、伊藤を「ダメ経営者」「疫病神」と糾弾したくなるのはわかる。しかし、バブル崩壊前から伊藤を批判していたのならともかく、その後の結果だけを見て批判するのは、いかがなものだろうか。

伊藤のペンタゴン経営は、バブル期までマスコミだけでなく経営学者からも「最先端の経営」ともてはやされていた。労使協調の経営路線も称賛されていた。日本航空の経営改革を託されたのは、「当代随一の経営者」「JALを救えるのは伊藤しかいない」と評価されていたからだろう。伊藤は、日本航空を去るまでは「日本で最も優れた経営者」の一人だった。

この伊藤の事例から、経営者や経営技法の良し悪しを評価することの難しさを痛感する。

良い経営者か悪い経営者かは、事後的にわかるものであって、経営者の在任中にはなかなかわからない。在任中に評判が悪かった経営者が見直されることは少ないが、伊藤のように評判の良かった経営者が「最悪の経営者」に変わってしまうことは多い。

また、目新しい経営技法が現れて少し効果が出ると、マスコミは「最先端の経営技法」ともてはやす。しかし、たまたま幸運に恵まれて短期的に効果が出ただけということがよくある。本当に効果があって経営が良くなるかどうかは、かなり後にならないとわからない。

経営コンサルタント(中小企業診断士)は、経営者と一緒に経営技法を考え、実行し、経営改革を進める商売である。経営者・経営技法を安易に評価し、判断を間違わないようにしたいものである。

 

(2024年4月22日、日沖健)