斎藤幸平・東京大学大学院准教授の「脱成長コミュニズム」が話題だ。脱成長コミュニズムとは、経済成長の追求による資源の過剰消費や環境破壊を避け、人々の幸福と持続可能な社会を目指す、晩年のマルクスの思想である。斎藤氏の『人新世の「資本論」』は、発行部数が50万部を超えた。斎藤氏はテレビのコメンテーターを務めるなど人気を集めている。
しかし、脱成長コミュニズムで本当に世の中は良くなるのだろうか。日本が本格的に脱コミュニズムに舵を切ったと想定して、問題点を考えてみよう。
第1に、脱成長コミュニズムによって経済が麻痺し、社会が崩壊するだろう。
外国人労働者は、賃金が上がらない日本にわざわざ来てくれるだろうか。若い、優秀な日本人は、日本にとどまって働いてくれるだろうか。外国人投資家は、株価が上がらない日本企業に投資してくれるだろうか。そんなに虫のいい話はありえない。
脱成長コミュニズムの社会では、ヒト・モノ・カネが海外から流入せず、海外に流失する。この資源不足の状態が続くと、経済が麻痺し、社会保障やインフラの維持がままならなくなる。原始共産制(脱成長コミュニズムとほぼ同じ)を目指した毛沢東の文化大革命やポルポト政権が行き詰まったように、国民が最低限の生活をすることすら難しいだろう。
第2に、脱成長コミュニズムによって国民の人間性が失われる。
旧ソ連を思い起こせばわかるとおり、共産主義は人間の成長欲求、ひいては個性や能力の発揮を抑圧する。先日、斎藤氏は「大谷翔平の年俸は1億円でいい」と述べた。メジャーリーグで大活躍しても、世界的な大発明をしても、普通の国民と同じ報酬しかもらえない(=評価されない)という社会で、人は能力と個性を発揮しようとするだろうか。
貨幣によって、人の能力や業績を定量的に評価することができる。評価とそれに伴う報酬がモチベーションになって、人はより高い創造性を発揮し、優れた芸術やイノベーションを生み出そうとする(そうならない人もいる)。斎藤氏ら共産主義者は、働いてお金を儲けることを「強欲」と一面的に捉えて、こうしたプラス面を見逃している。
第3に、脱成長コミュニズムは地球環境を破壊する。
共産主義社会の工場では、数量ベースの計画に基づいて生産・投資をすることが要求され、資源を節約しても、工場長や労働者は評価されない。消費者も、公定価格で商品が販売されるので、値段を見て「ちょっと高いから節約しよう」とは考えない。共産主義では、効率化のインセンティブがないので、資源を浪費してしまう。
チェルノブイリ原発事故や「20世紀最大の環境破壊」と言われるアラル海の縮小は、旧ソ連で起こった。こうした有名な例だけでなく、大規模な環境破壊は、資本主義社会よりも共産主義社会で断然たくさん発生している。このように、理屈で考えても、過去を振り返っても、共産主義は地球環境に優しいどころか、地球環境を脅かす大敵なのだ。
イギリスのチャーチル首相は、「資本主義の欠点は、幸運を不平等に分配してしまうことだ。社会主義(共産主義)の長所は、不幸を平等に分配することだ」と言った。
資本主義には、斎藤氏が痛烈に批判するように、格差の拡大など色々と悪い点がある。ただ、資源の効率的な配分や人間性の発揮など優れた点もある。一方、極めて貧しい社会における原始共産制は資源配分が効率化すると言われるが、それ以外に共産主義には明確に優れた点は見当たらない。
結局、資本主義か共産主義かは、「かなり悪い」と「超最悪」の選択だ。資本主義が「かなり悪い」からといって、「超最悪」の共産主義を選ぼうという斎藤氏の主張は、愚の骨頂というより他ない。
個人的に不思議なのは、大半の日本人が共産主義を毛嫌いし、日本共産党はいよいよ衰退しているのに、英語で「コミュニズム」と言い換えた途端、大人気を博していることだ。日本人のこの軽薄さがなくならない限り、第2・第3の斎藤幸平がこれからも現れそうだ。
(2023年8月21日、日沖健)