明日、井上尚弥とスティーブン・フルトンの世界タイトルマッチが行われる。井上にとっては4階級目のタイトル挑戦である。相手のフルトンも無敗の2団体王者ということで、どんな試合になるのか楽しみだ。
ところで、今回の試合は、ドコモの動画配信サービスLeminoで独占放送される。かつて井上の試合はフジテレビが放送していたが、最近は、AmazonプライムやAMEBA、そして今回のLeminoと、ネット系メディアでの配信になっている。
こうした路線変更に対して、「テレビで気軽に見れないのは残念」というファンの失望や「コアなファンしか見なくなる。地上波で放送しないと、ファン層が広がらないのでは?」という関係者の懸念が出ている。
しかし、地上波での放映は、ファンにとっても、ボクシング業界にとっても、決して良いことではない。地上波には、以下のような問題があり、業界を衰退させている。
まず、地上波では、資金力の限界がある。フジテレビが井上の試合を放映しないのは、局から出る放映料では6億円と言われる井上のファイトマネーを支払えないからだ。地上波にこだわると、タダで見れるという以前に、そもそも今回のようなビッグファイトが実現しないだろう。
世界のボクシング界は、1990年代からペイパービューが主流になっている。「良い試合なら1万円払って見るよ」という金払いの良い視聴者によって興行収入が膨れ上がり、数十億円規模のビッグファイトが続々と開催されている。
いまボクシング界には、かつてのモハメド・アリやマイク・タイソンのようなスターはいないが、それでもカネロ・アルバレスの昨年の競技収入は1億ドル(140億円)で、全プロスポーツ選手で1位である。ペイパービューで、ボクシングは儲かるビジネスになったのだ。
地上波テレビ局に依存し、ペイパービューが普及していない日本でビッグファイトを実現させるには、ネット系メディアでの放送は次善の策だと言える。
もう一つ、(ややマニアックな話になるが)海外では、ドン・キングやボブ・アラムといった独立したプロモーターが、テレビだのなんだのといったしがらみなく、魅力的な試合をバンバン組んでいる。
一方、日本では、ジムの会長が試合をプロモートしている。そして、過去の経緯からジムとキー局が紐づいている(帝拳=日テレ、協栄ジム=TBS、大橋ジム=フジテレビ、ヨネクラジム=テレビ朝日など)。そのため、テレビ局の系列を超えた国内の強豪同士の試合がなかなか実現しない。
大半の選手は、興行の前座で試合をする。テレビ局の資金難で国際的なビッグファイトが減り、テレビ局のしがらみで国内強豪同士の興行が減ると、選手の試合数が減ってしまう。いま日本では、世界チャンピオンで年1~2試合、世界チャンピオン以外でも年間4試合以下しか試合をしておらず、深刻な試合枯れに悩まされている。
このように、テレビ局とジムの関係で成り立ってきた日本のボクシング界は、チャンピオンになっても収入が安く、試合そのものがなかなかできないという危機的な状況に陥っている。この問題について、伊藤雅雪や亀田興毅といった若い元世界チャンピオンが独立プロモーターとして活動を始めており、今後に期待したい。
ところで、井上に話を戻すと、井上が国内で試合をするのは、おそらく今回が最後になるだろう。明日アメリカ人のフルトンに勝ったら、アメリカでの商品価値が高まり、もう1桁ファイトマネーが多いビッグファイトがアメリカで組まれる。日本のテレビ局はもちろん、ドコモなどスポンサーも、さらに高騰した井上のファイトマネーを払えない。
そうなると、井上の試合をタダで見るのが難しくなり(今回はLeminoに登録すれば無料で見れる)、日本のファンの不満が募るだろう。しかし、日本の至宝を世界のファンが目にすることになり、井上自身の収入も跳ね上がる。個人的には素晴らしい変化だと思っている。
(2023年7月24日、日沖健)