2000年以降、SNSが急速に普及し、色々と大きな変化があった。まず、良い変化は、コミュニケーションが容易になり、人と人が繋がりやすくなったことだろう。私は58歳なのだが、もう一生会うこともないと思っていた小学校低学年の時の同級生と約半世紀ぶりに繋がったりすると、心から感動する。
一方、悪い変化は、人が人のことを気軽に評価するようになったことだろう。SNSが現れる以前、他人のことを評価し、それを公にするのは、学校の先生、会社の上司、評論家といった特定の人に限られた。ところが、SNSの出現で、誰でも気軽に他人のことを評価し、それを広く世間に知らせることができるようになった。
ここで、「見たこと聞いたことを評価し、それを公表することの何がいけないのか?」という意見もあるようだが、さてどうだろうか。ポイントは「気軽に」という点だ。
たとえばグルメ。私は出張で全国各地の居酒屋を訪問している。当然、「素晴らしい!」と感動する優良店もあれば、「金返せ!」と憤るハズレの店もある。以前なら評論家がグルメ雑誌やテレビ番組などでコメントする程度だったが、いまなら誰でもSNSやグルメサイトに即刻コメントを書き込むことができる。
私も、ブログで飲食店について書くことがある。ただし、店の悪口を書く場合、初回の訪問では書かず、2回訪問してから書く(1回目でガッカリしたら店にはもう行かないので、店の悪口を書くことはほとんどない)。また、夜がメインの飲食店については、ランチのことは書かない。
なぜなら、とんでもなく不味い料理が出てきたとしても、たまたまシェフが調理ミスをしたのかもしれないし、シェフの体調が悪かったかもしれないし、他の料理は絶品かもしれないからだ。よく初回の訪問やランチを食べたくらいで烈火のごとく悪口を書き込む人がいるが、岸朝子(古い)のようなベテラン評論家でもあるいまいし、1回の訪問やランチをチョロっと食べたくらいで、適切な評価ができるわけがない。
「気軽な評価」は、かなりの確率で間違っている。グルメはまだしも、一般人が別世界に住む芸能人・政治家・皇族などの一挙手一投足を評価しているのを見ると、「よく断定的に言えるね」と思う。いい加減な評価は嘘をつくことであり、悪い影響があるなしに関係なく、それ自体が問題ではないだろうか。
ところで、どうして私が気軽な評価を慎んでいるかというと、普段、研修講師の仕事で受講者から評価される立場にあるからだ。研修講師をしていると、終了後の受講者アンケートで「何を言ってるかわからんアホ講師」「今回の研修は時間の無駄だった」などと書かれることがある。
ここで、「今回はたまたま調子が悪かったんです」とか「他のテーマなら実はスゴイ講師なんです」と言い訳しても始まらないので、評価は評価として受け入れるしかない。ただ、悪く評価されて決していい気持ちはしないので、自分が他人を評価するときも相手のことを自然に気遣う。
つまり、私が気軽な評価を慎んでいるのは、人間ができているからとかではなく、単なる職業的な習慣である。私はたまたまそうしているが、人の口には戸が立てられないので、SNSがある限り、「気軽な評価」がなくなることはないだろう。
先週、タレントのryuchellさんが自殺した。動機は不明だが、SNS上の自分への誹謗中傷を苦にしていたという。他人の気持ちを考えずに一方的に他人を評価し、傷つけ、死に追いやってしまうことすらあるSNS。かといって、使用を禁止するわけにもいかない。人類は、なんとも厄介な道具を手に入れてしまったものだと思う。
(2023年7月17日、日沖健)