コンサルタントのプライド

先週、本コラム「コンサルタントはなぜ胡散臭いか」の中で「補助金の申請を手伝っただけなのに」と書いたところ、知り合いのコンサルタント(中小企業診断士)N氏から抗議が来た。

「あなたは公的支援を軽んじている。補助金申請でも、かなり高度な知識・スキルを要求されるし、中小企業の発展に貢献する貴い仕事だ。あなたも診断士を名乗るなら、公的支援を馬鹿にするような発言を撤回するべきだ」

申し訳ないが、私は公的支援を「軽んじている」し、「馬鹿にしている」ので、撤回するつもりはない。

高度な知識・スキルを要求される公的支援もあるにはあるが、多くの新米診断士が「俺でも簡単にできそう、まず手始めに」と参入しているわけで、大半は難易度が低い。コンサルタントが自分の金を使うならまだしも、国の金を配るだけだ。公的支援によって中小企業が延命できても、経営が立ち直るわけではない。「公的支援は企業・社会にプラスにならない」というのが日本以外の世界の常識だ(だから大半の国では公的支援をしていない)。

という理由で私は公的支援を「軽んじている」し、「馬鹿にしている」。逆に、頭脳明晰なN氏がどうして公的支援にそんなにプライドを持てるのか、ちょっと理解に苦しむ。おそらく、自分のやっている仕事にプライドを持ちたいという一心だろう。

ただし、私は公的支援だけを目の敵にしているわけではない。コンサルタントの仕事そのものを「軽んじている」し、「馬鹿にしている」。コンサルタントの自分が言うのもなんだが、ミュージシャン・芸術家・クリエイター・料理人といった職業と比べてコンサルタントの仕事はほとんど無価値だ。

よく「(公的支援と比べて)民間のコンサルティング業務は難易度が高い」と言う人がいるが、そうだろうか。たしかに使う知識・スキルは少しばかり高度だが、経営で一番難しいのは意思決定・実行だ。コンサルタントがどんなに素晴らしいアドバイスをしても、それをやるかどうか意思決定し、実行し、成果を実現するのは経営者だ。

新井信裕氏ら昭和のコンサルタントのように、これだと思ったクライアントには自分の金を突っ込んで運命共同体で指導するならともかく、外部からアドバイスをする分には、難易度でも企業・社会に対する貢献という点でも、公的支援と目くそ鼻くそである。

講師業務はどうだろう。研修・セミナーが成功し受講者が満足すると、講師は「(成果が出るかどうか不確かなコンサルティングと違って)俺は企業の人材育成に確かな貢献ができている」と考えるのだが、本当に貢献できているのだろうか。

私の経験では、知識・意欲・問題意識などレベルの高い受講者は、講師が少しくらい間違ったことを教えても、自分なりに軌道修正してしっかり学び取ってくれる。一方、レベルの低い受講者は、講師が懇切丁寧に説明してもなかなか理解できず、「何を言ってるかわからんアホ講師」とダメ出ししてくる。研修・セミナーの成否の8割は、受講者によって決まる。

つまり、公的支援でも、コンサルティングでも、講師業務でも、うまく行くかどうかはクライアント次第で、コンサルタントの貢献は微々たるものだ。

もちろん、大した貢献をしていないからといって、手を抜いて良いというわけではない。逆に、コンサルタントという立場では大した貢献をできないということを自覚し、その中でも「どうしたら貢献できるのか」と必死に知恵を絞る真摯な姿勢が要求される。

一般に、自分の仕事にプライドを持つのは良いことだとされる。しかし、ことコンサルタントについては、「俺はスゴイ仕事をしているぞ!」という変なプライドを捨てる方が、結果的に良い仕事をし、企業・社会に貢献できるように思う。

先週の「コンサルタントはなぜ胡散臭いか」に話を戻す。(不正に手を染める輩は論外として)自分は企業・社会に貢献するスゴイ仕事をしていると勘違いし、ちょっとクライアントが成功すると自分の貢献だと過信し、話を膨らませて言いふらすのが、胡散臭いコンサルタントの典型である。

 

(2022年12月5日、日沖健)