よく「企業は人なり」と言われる通り、人=従業員は企業経営のもっとも重要な構成要素である。その人(ヒト)をどう呼ぶべきかが、最近、課題になっている。
経営学には人的資源管理という分野があり、学問的には人を「人的資源」と呼ぶのが一般的である。つまり、企業活動には経営資源が必要で、モノ・カネ・情報などとともに経営資源の一つとして「人的資源」があるわけだ。
ここで、「人的資源」ではなく「人的資本」と呼ぼうという動きが世界で広がっている。日本では、経済産業省が「人的資本」という考え方を取り入れるよう2度に渡って提唱している(2020年9月「人材版伊藤レポート」と2022年5月「人材版伊藤レポート2.0」)。いま上場企業では、自社の「人的資本」の状況を株主・投資家にどう開示するかが課題になっている。
「人的資源」だと原材料や経費と同じで使って無くなったら終わりではないか、そうではなく、「人的資本」として企業が従業員に教育投資をして永続的に価値を高めることが大切だ、というわけだ(なお、伊藤レポートなどでは「人的資本」を「人的資源」に代わる新しい考え方として紹介しているが、経済学の概念としては「人的資本」の方がはるかに歴史は古い)。
ここでふと思い出すのが、「人材か、人財か」という十数年前にあった議論。「人材」は材料を連想させるからけしからん、従業員は企業の財産なので「人財」と呼ぶべきだ、というわけだ。「人材開発部」を「人財開発部」に変更するという企業もあった。
さて、ここまで読んで、どう思っただろうか。以下は、コンサルタント・研修講師として20年に渡って多くの企業を見てきた私の独断である。
まず、現時点で「人的資本」という考え方を取り入れた、あるいは取り入れようとしているのは、かなり先進的な企業だ。日ごろから世の中の動向を注視し、新しいことを積極的に取り入れようとしている。
では、その先進的な企業が業績好調な優良企業かというと、意外とそうでもない。経営者が「先進的な経営者と称賛されたい」、人事部が「しっかり仕事しているとアピールしたい」という動機であることが多いからだ。こういう新し物好きな企業は、経営者も従業員も新しいことを追いかけるのに懸命で、どこか空回りしている。
次に、「人財」と強調する企業は、ちょっと危険だ。私が「経営人材育成研修」の実施を提案したら、「当社では“人財”という用語を使っています。経営“人財”育成研修に名称を変えてください」と言われたことが何度かある。そういう企業は、業績不振だったり、従業員をないがしろにするブラック企業だったりする。
「人財」と呼ぶ経営者は、「私は従業員を大切にしています!」とアピールしたいのだろう。ただ、経営者が従業員を大切にするのは当たり前の話。当たり前のことをことさらアピールするのは、実は従業員を大切にしておらず、言葉で何とか取り繕いたということだ。
最後に、この話をすると、「従業員の呼び方なんて、どうでもいいじゃないか」と言われることがある。これは、2つのケースがある。一つは、物事の本質がわかっている優れた経営者だ。
「人的資源」と「人的資本」、「人材」と「人財」。厳密に言えば色々と違いはあるのだが、大きくはどれも同じ。研究者はともかく、経営者にとっては単なる言葉遊びに過ぎない。世間の流行に惑わされず本質を見極めるというのは、優れた経営者の条件である。
もう一つは、まったく無能な経営者だ。「どうでもいいじゃないか」と言うとき、企業経営に関する議論や従業員のことが「どうでもいい」というわけだ。
世の中の動きに目を向けて突き詰めて考えること、従業員を大切にすることは、経営者として必須の条件。その必須のことができていない投げやりな経営者は、経営者としての資質が大いに疑われるのである。
(2022年6月20日、日沖健)