岸田首相が、企業の自社株買いを規制しようとしている。昨年12月の衆議院予算委員会で立憲民主党・落合貴之議員が「自社株買いの見直し、もしくは禁止まで踏み込むべき」と指摘したのに対し、岸田首相は「指摘の点は大変重要なポイントだ」と答弁した。
「新しい資本主義」を標榜する岸田首相は、資本家(株主)を敵視しており、自社株買いを規制すれば強欲な資本家を懲らしめ、労働者への分配が増えると考えているようだ。しかし、これは危険で、誤った考えである。どのように誤っているのかを確認しよう。
まず、配当・自社株買いという株主還元の経済効果を考えたい。株主還元によって、株主は不当に得をしているのだろうか。1961年にモジリアニとミラーが発表した命題(MM第2命題)によると、株主還元は株主の価値に影響を与えない。つまり、株主にとって株主還元が増えても減っても関係ないということで、「配当無関連説」と呼ばれる。
企業は事業活動をして売上など収益を獲得し、そこから従業員に人件費、銀行に利息、国に税金といった費用を払う。株主以外のすべての利害関係者に対して費用を払い終わった残りが当期純利益で、これはすべて株主のものだ。そして、株主は、自分のものである当期純利益を株主還元するか、内部留保するかを株主総会で決める。
これは言ってみれば朝三暮四だ。朝三暮四とは、中国の狙公が飼っていた猿にとちの実を与えるのに朝三つ暮れに四つとしたところ、猿が「少ないぞ!」と怒ったので、朝四つ暮れに三つとしたら喜んだ、という故事である。当期純利益7億円を「配当3億円・内部留保4億円」にしても、「配当4億円・内部留保3億円」にしても、株主還元のタイミングが違うだけで、株主には損も得もない。これがMM第2命題の意味するところだ。
株主還元が株主にとって損も得もないということは、他の条件が変わらないなら、従業員にとって損も得もない。すでに株主に分け与えられたパイ(当期純利益)をさらにどう切り分けるか(株主還元か、内部留保か)は、従業員には関係ない話だ。従業員が得をするのは、企業が獲得する元々のパイ(売上)が増え、従業員に配分された場合である。
では、実際に自社株買いの規制が強行されたら、何が起こるだろうか。話を単純化するために、岸田首相が望む「株主還元の禁止」というケースを考えてみよう。
株主還元が禁止されたら、株主は、株式投資の収益をどう実現(現金化)するかという課題に直面する。理論的には、株主還元を減らした分だけ内部留保が増えて株が値上がりするので、株を売却すれば投資収益を実現することができ、問題ないと言える。
ただ、収益実現を制約された日本株を喜んで買う投資家が、いったいどれだけいるか。少なくとも個人投資家や生命保険会社など一部の機関投資家は株主還元で投資収益を実現したいというニーズが大きいので、手枷足枷が多い日本株への投資を躊躇するだろう。
したがって、株主還元が規制されたら、日本株の株価はかなり下落するに違いない。実際に昨年12月の岸田首相の国会答弁で、日経平均は大きく下がった(岸田ショック2.0)。
外国人投資家も手枷足枷が多く、株価が上がらない、東京市場・日本株を見限るだろう。売買の7割を占める外国人投資家に見放された東京市場は、ますます衰退し、一部の国内投資家が細々と取引するローカル市場に転落する。このように自社株買いの規制は、投資家・株式市場に大打撃をもたらす。
もっとも、岸田首相にとっては、自社株買いの規制によって従業員が浮かばれないとしても、強欲な株主を懲らしめ、「悪の巣窟」である株式市場を破壊できるという点では、「効果大」なのかもしれない…。
昨年10月に発足した岸田内閣は、5割前後の内閣支持率を維持しているが、投資家に限っては支持率は3%に過ぎない(日経CNBC1月調査)。他にも就任早々に金融所得課税の見直しを表明する(岸田ショック1.0)など、株主を敵視し、株式市場を破壊しようと画策しているのだから、当然だろう。
かつて毛沢東は、知識人を粛清すれば労働者(農民)の地位・生活水準が上がると考え、文化大革命に突き進んだ。しかし、労働者には何のプラスもなく、国が大混乱しただけだった。今回の自社株買い規制も、従業員にとって何のプラスもなく、日本の株式市場をますます衰退させるだけだ。
毛沢東と違って岸田首相がまともな思考回路を持っていること、投資家に対しても得意の「聞く耳」を持つことを是非とも期待したい。
(2022年3月28日、日沖健)