日経ビジネス・オンライン(1月7日)で、宗健氏という不動産業界の専門家が「タワーマンションは大規模修繕費用の負担からいずれ破綻し、廃墟になるという最近のメディア・ネット世論の主張は、根拠がなく、論理の飛躍だ」と主張していた。宗氏によると、こうした議論ではファクトベース、事実に基づいて考えることが大切で、「まだタワーマンションが廃墟になった事例は1つとしてないからだ」という。
一見もっともらしく聞こえるが、本当だろうか。宗氏は「ファクトベース」の意味を完全に誤解しているようだ。
例えば、いま北京オリンピックを前にして、「地球温暖化による雪不足で、半世紀後には、地球上で冬季五輪を開催できる大都市はなくなる」と言われている。この予想に納得するかどうかはともかく、「現時点で雪不足で開催不能になったという事実はないから、論理の飛躍だ」と反論する人はいないだろう。
タワーマンションの廃墟化も同じだ。日本で最初のタワーマンションは1996年にできたエルザタワー55で、2015年に大規模修繕工事をした。2000年以降に続々とできたタワーマンションが大規模修繕を迎えるのは今後の話で、まだ廃墟になったタワーマンションがないのは当然だ。廃墟になったタワーマンションがまだないという事実と今後廃墟になるかどうかは、まったく別問題だ。
宗氏の論法が正しいなら、「未来の予測をしてはいけない」ということになってしまう。これは、まったく誤ったファクトベースだ。そして、この考え方は科学の発展を阻害してしまう。どういうことか。
フランシス・ベーコンが考案した帰納法は、自然現象(事実)を観察して、そこに共通する関係性を法則化するというやり方だった。帰納法はベーコンの死後18世紀にヨーロッパで大流行し、科学的な方法とは帰納法を意味するようになった。
しかし、事実→法則という帰納法は、あくまで一つのアプローチで、別のアプローチがある。たとえば、アインシュタインは、空間の歪みを望遠鏡で観察して一般相対性理論を考えたわけではなく、頭の中で仮説を作った。大胆な仮説、つまり論理の飛躍から画期的な理論が生まれるのだ。
ただし、大胆な仮説は、結果的に「とんでもない勘違いだった」ということが多いので、反証可能な形で命題を提示しなければならない。事実によってある命題を棄却することを反証と言い、カール・ポパーは、科学的とは「反証可能性があること」だとした。
つまり、すべての理論はあくまで仮説で、「科学的に正しい理論」とは、「反証可能性があるがまだ反証されていない仮説」ということになる。「松下幸之助が今の時代に生きていたら、パナソニックはアップルを上回る企業になっていただろう」という主張は、正しいかもしれないが、反証可能性がないので科学的ではない。バカボンのパパの「西から昇ったお日様が東に沈む」は、もちろん正しくないが、翌朝起きれば反証できるので科学的だ。
事実から言えることを主張する(①)というのは、もちろんファクトベースである。しかし、大胆な仮説を作って事実によって検証する(②)というのも、ファクトベースだ。そして、どちらが画期的な理論を生み出せるかというと、①よりも②だろう。
ところで、ファクトベースという考え方は、コンサルティングでも重要だ。私はこれまでたくさんのコンサルタントとお会いしてきたが、製造系では宗氏のように①しか認めないというコンサルタントが多い。一方、マーケティング系では②しかやらないコンサルタントが多い。
両方を柔軟に使いわけることができるのが理想だが、現実には、ここまで書いた考え方を知らず、どちらも不徹底というコンサルタントが大半だ。つまり、①では事実を集めるだけでそこから良い仮説を作ることができない状態、②では反証可能性がないただの夢想を語る状態である。
(2022年1月17日、日沖健)