新型コロナウィルスで中断していた出張が9月から本格的に再開し、地方で外食する機会が増えた。そこで実感するのは、飲食店のコロナからの復活度合いに、店によって大きな差があることだ。売上高がコロナ前の水準にほぼ戻ったという店がある一方、以前の5割にも満たない店という店も多い。同じようにコロナの被害を受けながら、いったいどうしてこのような差が生まれたのだろうか。
私はもちろん飲食の専門家ではないが、素人なりに思い当たることが3点ある。
まず、特定の顧客層に依存している店は、総じて厳しい。マスコミでは、インバウンド需要に依存した観光地の店や接待需要に依存していた都市部の店の苦境がよく報道されている。ただ、それ以外にも、地元客だけが集う店や食通だけが通う店も、意外と苦戦している印象だ。コロナだけでなく何が起こるかわからない時代、やはりリスクヘッジという点では主要な顧客層を2つ以上持つことが望ましい。
次に、サービスの悪い店は、客の戻りが鈍い。コロナ前の需要が旺盛だった頃は、少々サービスが悪くても繫盛したが、たまにしか外食しない今は、客はサービスの良い店をまず選ぶ。たとえば、満席のときに来店した客に「満席ですよ」の一言で済ませるか、「大変申し訳ございません」と丁寧に頭を下げるか、「次回お越しになったときにお使いください」とドリンクサービス券を渡すか。こうしたちょっとした違いが、いま大きな差になっている。
最後に、何か「積極的に通う理由」や「売り物」がある店でないと、客はなかなか足が向かない。感染拡大が収まり、過度な自粛ムードはなくなったといっても、やはり国民は飲食店に通うことに後ろめたさを持っている。「この店には共感できるので応援したい」といった積極的な理由、「この店の○○を食べないと落ち着かない」といった売り物で、客の後ろめたさを上回る必要がある。
と、ここまで書いてきて、これは飲食業だけでなく、どのビジネスでも大なり小なり当てはまるのではないか、という気がしてきた。航空のように壊滅状態の業界や公的コンサルティングのようにバブル真っ盛りの業界を除くと、コロナ禍でも大健闘している会社とすっかり意気消沈している会社の格差は、上の3点、とくに最後の「積極的に買う理由」や「売り物」のあるなしによる。
ビジネスだけでなく、趣味や芸術の世界も、よく似ている。趣味や芸術は、別に生きて行く上で必要なものではないので、何か共感できるものがないと、コロナのような困難に直面すると、途端に気が向かなくなってしまう。逆に共感できるものがあると、芸術家などには何とか状況を打開して欲しいと勝手に応援してしまう。
私はジャズが好きで、よくライブに行くのだが、3月以降「ライブハウスはクラスターの温床!」と袋叩きにされれればされるほど、音楽への姿勢に共感できるミュージシャンやライブハウスへの愛着が増し、何とか応援できないかと思うようになった(好きなライブハウスにはかなり寄付をした)。一方、共感できないミュージシャンやライブハウスは、すっかり敬遠するようになった。
コロナによって、この歳まであまり気にしなかった、共感できるものと共感できないものを明確に意識するようになったわけだ。不謹慎かもしれないが、私にとってコロナの怪我の功名である。
(2020年11月2日、日沖健)