厚生労働省が6月5日に公表した昨年の合計特殊出生率は1.36で、前の年を0.06ポイント下回った。出生数は前の年より5万3166人減って86万5234人と、統計を取り始めた明治32年以降最少となった。一方、死亡数は138万1098人と戦後最多となり、死亡数から出生数を差し引いた減少幅は51万5864人で、これも過去最大である。
これについて厚生労働省は、「出生数は婚姻数に影響を受ける。去年は令和元年の節目で令和婚が増えたが、おととしは令和を前に婚姻数がこれまで以上に減っており、出生数の減少につながったとみられる」と分析している。
ただ、合計特殊出生率は今年だけでなく4年連続の低下。人口減少幅は12年連続で過去最大を更新している。令和云々は間違いではないのだが、長期の人口減少トレンドの中では実に「ちっちゃな話」。こういうどうでもいい話を持ち出すところに、厚生労働省の危機感・当事者意識の薄さを感じてしまう。
政府は2025年までに合計特殊出生率を1.8に引き上げるという目標を掲げて少子化対策に取り組んできた。しかし、逆に目標からどんどん遠ざかっている。今後、コロナの影響で婚姻数が減り、少子化が一段と進むことが確実だ。厚生労働省は、もっと危機感・当事者意識を持って本腰で対策に取り組む必要があるだろう。
ただ、この問題が難しいのは、厚生労働省だけでなく、国民も政治家も、少子化を重大な問題だと考えていないことだ。本当に少子化が重要な問題というなら、半年で死者1,000人に満たないコロナ対策に30兆円使うより、1人子供を産んだら親に1,000万円を支給するべきでは、という議論があっても良さそうなものだ(実現するかどうかは別にして)。
しかし、子供を産む産まないは個人の自由なので、国民は、国の少子化対策を「余計なお世話」と思ってしまう。また、少子化で困るのは今の自分たちではなく遠い未来のことだろうと考え、切迫感が湧かない。政治家は、国民が無関心な少子化対策に取り組んでも票にならないので、やはり関心が低い。そのため対策が進まず、少子化が止まらない…。
結局、この因果関係を断ち切るには、国民が少子化の問題点を正しく理解し、意識を抜本的に変える必要がありそうだ。
そもそも、少子化の何がいけないのだろうか。西暦4205年に日本人が絶滅してしまう(東北大学・吉田浩教授の試算)から問題なのか。よく「人口が減っても1人当たりGDPを維持すれば、豊かな生活ができて問題ない」と語る専門家がいるが、実際はどうなのか。
少子化は遠い未来の問題ではない。近い将来、私たちの暮らしを直撃する。
たとえば、介護の現場では、いまベトナム・インドネシアなどから来た外国人労働者が重労働を担っている。しかし、日本のブラジル移民が戦後30年で終わったように(移民船にっぽん丸の最後は1973年)、30年後2050年、海外の人は豊かになった自国で働き、給料が安い日本には見向きもしなくなるだろう。日本人の若者も外国人労働者もいない状況で、いったい誰が介護をするのだろうか。
私は現在54歳で、30年後には84歳。今回の人口減少のニュースを聞いて、私が死ぬ前、介護をしてくれるのは日本人か、外国人か、はたまたロボットか、と考えこんでしまった。介護なしで野垂れ死にするのは、さすがに勘弁願いたいものだ。
介護だけではない。建設現場、コンビニなど、日本の至るところですでに労働者不足が深刻化している。子供を産む、移民を含めて外国人労働者を増やす、という手を打たないと、豊かな生活どころか、最低限の暮らしを維持することすらままならなくなってしまうだろう。
6月5日に昨年の合計特殊出生率などが公表されてから10日間が経つ。残念ながら、メディアはコロナ(と不倫)関連報道一色で、少子化問題はほぼスルーされている。
コロナ対策はたしかに重要だし、被害に遭われた方には気の毒だが、ワクチンができるまでの1年間の話。先週取り上げた財政問題(「MMTを信じて借金を増やして良いのか」参照)とともに、長い目で見て私たちの暮らしと日本の将来を左右する少子化問題について、もっと注目し、危機感を持つべきだと思うのである。
(2020年6月15日、日沖健)