お金持ちになりたくない日本人

 

先日、日本を代表する個人投資家(現在はセミリタイアし、南の国に住む)から、お金持ちになる方法についてレクチャーを受けた。あれこれと2時間に及んだ話の結論は、「お金持ちになる方法を死ぬ気で考えろ、それができないならお金持ちに付き従え(=俺の弟子になれ)」というものだった。

 

「なんだ、そんなことか」と思われるかもしれないが、なかなか真理を突いていると思う。

 

株式投資でも、事業経営でも、他人と同じことをやっていては、お金持ちにはなれない。人によって能力・特徴・置かれた環境など違うから、自分なりに他人に勝つための方法を考える必要がある。

 

世間に「お金持ちになりたい」と口にする人はたくさんいる。ただ、単なる願望にとどまり、そのための方法を死ぬ気で考える人は少ない。まして、考え抜いて編み出した方法を粘り強く実行し、お金持ちになったという人はまれだ。

 

他の人もお金持ちになろうとして真剣に考え、懸命に努力している中、自分なりの勝利の方程式を作り出して成果を上げるのは、極めて難しいことだ。「ちょっと無理かな」と思ったら、大金持ちに付き従って小金持ちを目指すというのは、理にかなっている。

 

この話を聴き、日本という国・日本企業・日本人の過去・現在・未来に想いをめぐらした。

 

明治維新から積み上げてきたものを敗戦で失った日本は、戦後アメリカというお金持ちに弟子入りし、再スタートを切った。そしてバブルに至るまで、日本はアメリカのやり方を模倣して工業化することで1人当たりGDPなどの指標で世界有数のお金持ちになった。

 

ところが1980年代後半、日本企業が「もはやアメリカから学ぶことはない」と勝ち誇っていた陰で、世界では地殻変動が起きていた。IT化・グローバル化が進み、それを活用した水平分業型のビジネスモデルが登場し、日本の製造業が磨き上げてきた垂直統合型のビジネスモデルは陳腐化した。お金持ちになる方法が抜本的に変わったのだ。

 

ところが、1990年代から現在に至るまで、日本企業は1980年代までの儲け方に固執し、人件費などコスト削減で耐え忍ぶ状況が続いている。日本企業は、IT化を先導したアメリカ企業や国際分業を担う新興国企業の攻勢に敗れ去った。企業の利益が減り、賃金が減り、日本人はどんどん貧乏になった。気が付けば、1人当たりGDPは世界26位と、もはや先進国とは呼べない普通の国になり下がっている。

 

これから先、日本はどうなるだろう。貧乏な生活をしたくなかったら、これまでのやり方を捨て去り、金持ちになる方法を考え抜く必要がある。ところが、日本人は死ぬ気で考えるどころか、お金持ちになることを拒否しているように見える。

 

アメリカ・中国が成長していると聞いても、「所得格差が広がっているらしい」と負の側面にばかり目を向ける。マスコミは、日本が海外から「終わった国」と言われていることを報じず、ワールドカップなどでちょっと褒められると「やはり日本は素晴らしい」と礼賛する。ホリエモンやZOZOの前澤友作元社長のように成功者が現れると、ネットでは「汚い手を使ったんだろ」「どうせすぐにダメになるさ」と揶揄する声ばかり氾濫する。

 

戦中・戦後の極貧を知る世代が社会の中心にいたバブルの頃まで、日本人は「お金持ちになりたい!」と強く願った。しかし、戦後の豊かな社会で生まれ育った世代が主流になった1990年以降、日本人の金銭欲求はすっかり萎えてしまった。

 

ではどうすれば良いのか。お金持ちを不当に懲らしめる税制など色々と改革するべき点があるが、まず一つだけと言われたら、義務教育から変えて欲しいところだ。

 

小学校・中学校で高度な投資家教育をしろとは言わない。教師が「お金は不浄」「人前でお金の話をするな」「貧乏でも清い生き方をしろ」「お金持ちになっても幸せになれない」といったゆがんだ意見をまき散らすのを控えてもらうだけでも、(時間はかかるが)日本は確実に良い社会になると思う。

 

(2019年11月18日、日沖健)