元アナリストで小西美術工藝・社長、デービッド・アトキンソンが日本の中小企業の生産性の低さを問題視し、議論を呼んでいる。アトキンソンは日本の生産性が低いのは中小企業が多いことが原因で、1964年制定の中小企業基本法で中小企業にとどまる方が有利になったことによると主張する。概ねアトキンソンの主張に賛同するが、日本で中小企業が増え、支持され、淘汰されない背景的要因として、日本人の「中小企業びいき」があると思う。
池井戸潤の『下町ロケット』『陸王』などがヒットしたように、邪悪・冷酷な大企業から虐げられた中小企業が逆境にめげずひたむきに頑張る姿に、日本人は涙ながら声援を送る。「判官びいき」という日本人独特の感性が、企業観にも反映されている。
日本人には当たり前の中小企業びいき。中小企業診断士の立場からは言いにくいことだが、この考え方は重大な悪影響がある。どういうことか。
まず、ひいきの対象である中小企業の現状を確認しよう。
アトキンソンも指摘するように、中小企業の最大の特徴であり最大の問題点は、従業員1人当たり売上高など生産性(=産出÷投入)の低さだ。各種統計によると、中小企業の生産性は大企業の5割に満たない。中小企業は投入、つまり人・物・金という経営資源を無駄使いしているわけだ。お風呂に家族4人が入るのと単身者が1人だけ入るのを比べればわかる通り、規模が小さいと経営資源の活用がどうしても非効率になってしまう。
よく「中小企業はキラリと光る技術を持っている」と言われるが、そうだろうか。大半の中小企業は、大企業の下請けとして決まりきった業務をこなすだけで、イノベーション(革新)を生み出していない。そもそも独創的な技術を持つ中小企業が普通に経営すれば、注文が殺到し、成長し、たちまち中堅企業、大企業になるだろう。独創的な技術を持ちながら長く中小企業のままというのは、技術はともかく経営に重大な欠陥がある可能性が高い。
働く側から見ても、中小企業は魅力に乏しい。生産性の低さを反映して、従業員の賃金は低水準だ。労働政策研究・研修機構の調査によると、従業員数1,000人以上の企業の賃金を100とした場合、従業員数99人以下の企業の賃金は72.6にとどまる。
賃金はまだ格差が小さい方で、福利厚生などの待遇には大企業との間に絶望的な格差がある。休暇についても、経理に1人、営業に1人しかいないという中小企業で、従業員は満足に休暇を取ることができない。また、明確な統計はないものの、世間の目に晒される大企業と比べて、中小企業はワンマン社長の下で断然ブラックになりやすい。
つまり、中小企業は、世の中の貴重な経営資源を無駄遣いし、イノベーションを生まず、ブラック職場で労働者を低賃金でこき使い・・・という悲惨な状況なのだ。どうして日本人が中小企業を誉め称えるのか、共感を覚えるのか、理解に苦しむところだ。
誤解しないでいただきたいが、中小企業という存在が問題なのではない。トヨタも最初は町工場だった。グーグルも最初はベンチャー企業だった。問題は、中小企業経営者が以上のような現状を直視せず、「成長して一刻も早く中小企業から脱却しよう」という意欲を持たず、現状に安住していることだ。
大半の中小企業経営者は、成長意欲を持たず、中小企業であり続けることに罪悪感を覚えない。むしろ「大企業に虐げられている」と被害者意識に駆られ、経営が厳しくなると行政(国・自治体)や支援機関にすがる。泣きつかれた行政も「中小企業は絶対的に善」として、存在価値のない中小企業にもダラダラと支援している。こうした誤った状態が許されているのは、中小企業基本法とともに、日本人の中小企業びいきの影響が大きいと思う。
もちろん、人の生き方として「自分の好きなことだけやっていたい。組織を大きくすることには興味ない」というのはありだ(私もそのクチ)。ただその場合、企業を作って従業員を雇うのではなく、フリーランサー・個人事業主として社会に迷惑が掛からないよう活動するべきではないだろうか。
小説を読んで喜んでいる分には害はないが、日本人の「中小企業びいき」が中小企業経営者の甘えや行政による無分別な支援を生み、日本経済を停滞させているとすれば、意外と重大な問題なのである。
(2019年10月21日、日沖健)