先週18日、安倍首相の側近、萩生田光一幹事長代行が10月に予定されている消費税増税の延期を示唆した。元々2015年に予定されていた消費税増税は、2度に渡って延期されており、今回、企業や自治体は増税実施を前提にシステム対応など進めていることから、「さすがに延期しないだろう」という意見が大勢だったが、雲行きが怪しくなってきた。
萩生田氏の発言は、夏の参院選で自民党の苦戦が予想されるようなら、安倍首相が再々延期を表明し、「国民に信を問う」として衆参同日選挙に持ち込み、再々延期を“功績”として政局を打開するという意図(安倍首相の気持ちを忖度)だろう。早速翌19日、菅官房長官は再々延期を否定したが、さてどういう判断になるか。
ところで、そういった政治的な思惑はともかく、純粋に経済の問題として、消費税増税を実施するべきか、再々延期するべきか。
与野党を問わず増税反対論者が指摘するのは、増税による景気の落ち込みだ。消費税を上げたら、所得が不変なら家計の消費支出は減る。2兆円の景気対策をもってしても、景気悪化を避けられるかどうか不透明だ。この部分だけを捉えると、たしかに増税しない方が良い。
問題は、ほとんど誰も語らない、再々延期した場合の影響だ。再々延期で短期的な景気後退は避けられるが、何事もなく平穏無事な未来が続くだろうか。長期的には、GDPの6割を占める消費は一向に盛り上がらず、経済はますます悪化するだろう。
現在、戦後最長の景気拡大が続いているのに、一向に消費が盛り上がっていない。経済学の消費理論では消費は所得の関数であり、企業が儲かっているのに賃金を増やしていない(=労働分配率が低下)ためだと分析されている。
では、たとえば政府が春闘に強力に介入して賃金が20%上がったら、労働者は嬉々として消費を増やすだろうか。残念ながらあまり増えないだろう。なぜなら、消費が増えないのは、現在の収入が少ないだけではなく、将来の収入、将来の生活に不安があるからだ。
近年、日本企業は、IT・金融はアメリカ企業の、製造業は新興国企業の攻勢を受けて、自動車など一部の産業を除いてグローバル競争に次々と敗れ去っている。この状況で労働者は、「将来、給料が減るだろう」「退職金はもらえないだろう」「そもそも会社がなくなり、失業しているかも」と不安だ。少しくらい給料が増えても、持続性のない臨時収入と受け止め、生活防衛のために貯蓄に回すだけだ。
国民のもう一つ大きな不安が、将来の増税だ。日本の財政は、国の借金がGDPの250%を超える世界史上でも稀な借金漬けで、しかも団塊の世代が後期高齢者になる2025年以降、社会保障費の負担増で財政悪化が加速する。いくら御用学者T氏やインチキ評論家M氏が「日本の借金はまったく心配ない!」と叫んでも、国民は「今回はともかく、将来の増税はやっぱり避けられないのでは…」と考え、生活防衛に走る。
では、国民の不安をどう解消していくべきか。企業の競争力は基本的に企業の自助努力の問題であり、政府は企業活動の邪魔をしないよう、大胆な規制緩和を進めるべきだ。一方、財政については、予定通り消費税増税を実施することが極めて大切だ。
現在、末期的な財政状態にもかかわらず日本国債が辛うじて市場から信任されているのは、消費税率が8%とヨーロッパ諸国に比べて低く、将来の増税余地が大きいからだ。今回、好景気、自民党の安定政権という絶好の条件が整っても増税できないとなると、「もはや増税による財政再建は不可能」という市場の評価になり、2025年以降の財政破綻・国債暴落が現実味を帯びてくる。実際に財政破綻しなくても、世界の投資家が財政破綻を不安視する状況で、国民が安心して消費を増やせるはずがない。
逆に、今回予定通り増税を実施し、大きな混乱なく通過することができれば、日本は財政再建に向けて一歩踏み出すことになる。景気対策に2兆円支出するので、実際の効果は限られるが、どんどん破滅に向かって突き進んでいくというトレンドからは転換する。そして、「日本の財政は心配ない」という国際的な信認が高まる。日本国民は、将来への不安が小さくなり、必要な消費まで我慢するという状態ではなくなる。
増税延期は、短期の景気対策としては正解だが、問題の先送りで、長期に渡る消費不振を決定的にする。逆に、増税によって短期的には景気が悪化するが、長期的には消費が上向く。予定通り増税し、問題なく通過することが、長い目で見て最大・最高の景気対策なのだ。
(2019年4月22日、日沖健)