政府は、10月に予定されている消費税増税の景気対策として、キャッシュレスの支払いを対象に還元ポイントを支給する方針だ。これを受けて、キャッシュレス化がにわかに社会的な課題になっている。
日本のキャッシュレス支払い比率は2017年現在、21.3%で、アメリカはもちろん、中国・韓国にも大きく劣る。諸外国のクレジットカードやスマートフォンが日本より格段に優れているということはないから、日本人の心の持ち方や習慣によるのだろう。とくに高齢者層において、現金志向が顕著だ。私の両親は、「クレジットカードはサラ金と同じ」という頑迷な考えの持ち主で、生涯クレジットカードを1枚も持たなかった。
なぜ日本人は現金志向が強いのだろうか。よく指摘されるのは、日本人の安全志向である。カードやスマホだと盗難・紛失や個人情報漏洩のリスクがあるのに対し、現金なら安全だというわけだ。しかし、現金の方が安全かと言うと、ちょっと疑わしい。自宅の金庫に入った状態ならたしかに安全だが、現金を持って歩くのとスマホを持って歩くのとどちらが強盗に襲われるリスクが大きいかと問われたら、改めて答えるまでもないだろう。
つまり、厳密に言うと、日本人は“安全”志向ではなく、“安心”志向、あるいは心配性なのだ。実際にはカードやスマホの方が安全なのに、目に見えるというだけで現金に安心する。安全かどうかよりも、安心できるかどうかをより重視している。
安全と安心は混同されるが、大きく異なる。安全は危害がないかどうかという物理的な状態を意味するのに対し、安心は人の心が安らかかどうかという心理的な状態を意味する。そして、人は安全がかなり満たされると、安全なだけでは物足りなくて、安心を求める。安心は、安全よりも高度な欲求だと言える。
日本は70年以上も戦争がないというだけでなく、交通事故・凶悪犯罪の発生件数などを見ても国際的に極めて安全な社会だ(自然災害については議論があるが)。非常に安全だから、国民はさらに上位の欲求である安心を求める。日本人の安心志向は、日本が世界でも類を見ない安全社会を築き上げた成功を意味する。
ただ、「やっぱり日本はスゴイ!」と喜んでいる場合ではない。安心志向には、マイナス面も大きいからだ。キャッシュレス化が進まないだけではなく、社会の至る所で安心志向の弊害を目にする。いくつか例を挙げよう。
警備保障システム:強盗が去った後、丸腰の警備員がやってきて「大丈夫ですか?」と言ってくれるだけのサービスに、毎月何千円も払っている。
自動運転:レベル4に近いところまで技術が進化し、すでに人間が運転するよりはるかに安全なのに、「機械に運転を任せるのは不安だ」としてレベル2も実現していない。
子供の監視:登下校の子供を守るにはスクールバスを導入するのが一番なのに、「人に見守られる方が安心」として腰の曲がったお爺さんが通学路を警備している。
介護:「看護師はやっぱり日本人の方が安心」ということで、安くて仕事が丁寧なインドネシア人看護師の導入があまり進まない。
親子の同居:仕事のない地方を出て都市部や海外で働く方が良い生活ができるのに、親が「わが子にそばにいないと不安」と考え、子供を手元から離さない。
このように日本では、安心のために効率が犠牲にされている。革新的な技術が生まれにくい。安価なサービスが普及しにくい。
安心は人の心の問題であり、国民に「安心を求めるな」とは言えない。実際、気持ちを変えるのはなかなか困難だろう。ただ、国・自治体は、安全と安心を明確に区分し、安心志向の弊害を直視し、効率的な行政を進める必要がある。
(2019年3月11日、日沖健)