高齢者は働くべきなのか

 

高齢者の働き方が国民的な議論になっている。政府は、70歳定年を視野に、65歳以上でも働き続けられるよう法改正の準備を進めている。多くの専門家・評論家が「高齢者になってもできるだけ長く働き続けるべきだ」と主張する。マスコミは、高齢者が元気に働く姿を明るいタッチで紹介している。「ご隠居」は死語になり、世の中全体が「高齢者は働くもの」という風潮に変わろうとしている。

 

「人生百年時代」を迎える一方、企業の定年は60歳ないし65歳で、定年で引退すると、3040年に及ぶ長い老後が待っている。年金財政の悪化によって、年金支給額は大幅に減額され、年金受給開始年齢は繰り延べられていくだろう。そもそも年金制度が崩壊するかもしれない。医療費の自己負担も増えていく。高齢者が生活を成り立たせるには、「働くしかないでしょ」というわけだ。

 

高齢者が働き続けることには、色々なメリットがある。まず、収入を確保し、豊かな生活を過ごすことができる。何もしないで家の中にこもっているよりも、健康を維持しやすい。高齢者が長年培ったスキル・経験を生かして優れたビジネスを展開したり、後進の指導育成などで活躍すれば、社会・経済が大きく発展する。

 

このように、高齢者が「働く」「働くことができる」のは文句なしに素晴らしいことだ。しかし、それが転じて「是非とも働くべき」とか「働かない高齢者はけしからん」となると、大いに問題がある。

 

まず、人類の長い歴史の中で、ゆったりと老後を楽しむことができるのは、王侯貴族など特権階級や例外的な成功者を除くと、近代以降の先進資本主義国の国民だけだ。庶民にも老後があるという人類がせっかく手に入れた偉大な成果を、簡単に手放して良いものだろうか。現役時代はしっかり働き、高齢になったらゆっくり老後を楽しむという生き方をもっと尊重するべきだと思う。

 

高齢者は資産面と健康面で個人差が大きい。若い頃はたいてい「貧乏だが健康」であるのに対し、歳を重ねるにつれて資産面・健康面で格差が広がる。「貧乏だが健康」な高齢者は、当然働き続けるべきだ。しかし、十分な蓄えがあったら引退して老後を楽しむのは自由だ。そもそも貧富に関係なく不健康なら無理して働けというのは残酷な話だ。働くべきなのは高齢者全員ではなく、「貧乏だが健康」な高齢者に限った話である(もちろんその数は多い)。

 

理想は、若い頃にしっかりと働き、十分な資産を蓄え、心身とも健康で高齢期を迎え、その先は働き続けるのも老後を楽しむも本人の自由、という状態だ。専門家もマスコミも政府も皆がこぞって「高齢者も働くべき」と連呼する前に、理想の状態になっていない現状を直視し、原因を分析し、対策を講じるべきではないのか。

 

企業は良いビジネスをし、労働者への報酬を引き上げる。健康経営を推進する。政府は、規制緩和などによって企業が活動しやすい環境を作る。年金制度を持続可能な方向に改革する。医療保険制度など医療体制を整備する。そして労働者は、研鑽に努めて能力アップし、生産性の高い働き方をする。健康管理にも注意する。

 

もちろん現状は理想にほど遠いのだが、まず企業・政府は理想を目指し、できているところ、できていないところを確認し、改善・改革に努める。その反省に立って「努力しましたが十分な状況ではないので、申し訳ありませんが、元気な高齢者の皆さんには働き続けてもらえますか」と頭を下げるならわかる。十分に努力せず、「働かないなんてけしからん。お前ら野垂れ死にしたいのか?」と高齢者を恫喝するのはいただけない。

 

まずは、高齢者だけでなく全国民が「高齢者は働くべき」という新しい常識を疑い、高齢者の多様な生き方を認めるところから始める必要があるだろう。

 

(2018年11月26日、日沖健)