トップは生え抜きであるべきか

 

プロ野球の読売ジャイアンツが今シーズンもリーグ優勝を逃した。原辰徳監督の指揮で2012年から2014年までセリーグを3連覇したのを最後に優勝から遠ざかっている。先週、高橋由伸監督が責任を取って辞任することを表明した。

 

注目の後任の監督には、原辰徳前監督が復帰する見込みだ。球団首脳は当初、高橋監督に続投を要請したが、高橋監督が辞退した。OBの松井秀喜氏がジャイアンツと距離を置く中、ジャイアンツ生え抜きのOBでめぼしいのは高橋監督か原前監督くらいしかいない、ということらしい。

 

ジャイアンツは、他球団の主力選手を高額報酬でどんどん引き抜いている。選手に関しては、まるで外資系企業のように中途採用に積極的だ。ところが、こと監督については、昔も今も頑ななまでに生え抜きにこだわっている。

 

スポーツの世界では、サッカーやラグビーのように外国人監督が当たり前で、ジャイアンツのような生え抜き監督は流行らない。サッカーならブラジルや欧州諸国が、ラグビーならニュージーランドやオーストラリアの競技レベルが高いので、そういう強豪国から監督を招く。勝つためには、生え抜きかどうかなど、およそどうでも良い話だ。

 

ところで、企業はスポーツと同じく、ライバルに勝つことを目指して活動している。にもかかわらず日本企業では、トップは生え抜きであることが非常に重視されている。

 

経団連と言えば日本企業の総本山。今年5月、その経団連の会長に中西宏明・日立製作所会長が就任したが、中西会長と18人の副会長は全員が所属企業の生え抜きで、転職経験者は1人もいない(ちなみに全員が日本人で、60歳以上、男性)。日本企業における生え抜き重視の姿勢をものの見事に象徴している。

 

日本で生え抜きのトップが重視されるのは、「自分たちは優れている」というプライドの表れだろう。ラグビーはワールドカップでずっと勝てなかったのでエディ・ジョーンズに助けを求めた。経営危機に陥った日産はカルロス・ゴーンを迎えた。「自分たちは劣っている」「このままでは危ない」という意識があれば、外部からトップを招いて改革しようという話になる。しかし、「自分たちは優れている」と考える限り、そういう話にならない。

 

プライド、矜持を持って経営に臨むのは、悪いことではない。しかし、日本企業がグローバル市場でどんどん地盤沈下している現状を鑑みると、「生え抜きトップで大丈夫なのか?」「変なプライドを捨てるべきでは?」という議論がもっとあって良いはずだ。

 

以上、普通に考えると「生え抜きにこだわるべきではない」という結論になるのだが、合理性を重んじるはずの企業でも、そうなっていないのはなぜか。極論を言うと、日本では、株主・投資家も、マスコミ・国民も、そして当の経営者も、「トップなんてあまり意味のない存在」と考えているのではないだろうか。

 

よく“お神輿経営”と言われるように、日本企業においてトップは象徴的な存在であり、改革を主導するリーダーの役割を期待されていない。最も頑張った従業員に与えられる“功労賞”であって、経営能力は二の次だ。重要な役割を期待されていないし、たくさんの従業員に功労賞を与えたいので、2期4年とか短期で簡単に交替する。これでは、優秀なトップの指導の下に戦う外国企業には勝てないだろう。

 

野球に話を戻すと、セリーグでは、ジャイアンツの高橋監督、阪神の金本知憲監督、DeNAのアレックス・ラミレス監督と、指揮官としての手腕に疑問符が付く監督が目立つ。勝てるかどうかよりも、監督の現役選手時代の人気を重視していることは明白だ。一方、パリーグには、監督としての能力を重視して人選するチームが多い。近年、交流戦や日本シリーズでパリーグがセリーグを圧倒している一因ではないだろうか。

 

ジャイアンツの低迷、セリーグの凋落を見て、企業においてもトップのあり方を考えるべきだと思うのである。

 

(2018年10月8日、日沖健)