先週4月24日(火)の日経新聞朝刊の15面にジョンソン・エンド・ジョンソン・日色保社長の「私の課長時代」の連載記事最終回が載っていた。そして、13面にJXTGエネルギー・杉森務社長が23日に都内で開催された「日経2020フォーラム」で行った基調講演の紹介記事があった。
二人とも私の古くからの知人で、日色社長は愛知県立中村高校時代の同級生(1984年卒)、杉森社長は私が大学を卒業してJXTGの前身である日本石油に入社した当時(1988年入社)の新入社員研修の担当者である。
当時の中村高校では卒業生の大半が名古屋大学など地元で進学する中、日色君は地元を離れ静岡大学に進んだ。卒業後も、皆こぞって都市銀行か証券会社、あるいはトヨタなど地元メーカーに入社する中、外資のジョンソン・エンド・ジョンソンを選んだ。ジョンソン・エンド・ジョンソンでは、営業を中心にグローバルな経験を積み、同社の全世界の現地法人で史上最年少の社長になった。
私が入社した頃の日本石油において、人事部門は歴代社長ほぼ全員を輩出してきた絶対無二のエリートコースだった。ところが杉森さんは、自ら志願して人事部門を離れ、営業部門に転出した。営業の現場で色々な経験を積んで、売上高10兆円の巨大企業の社長になった(6月からJXTGホールディングスの社長に就任)。
この2人を見ると、人生はどう転ぶかわからないなと思う。と同時に、キャリアを短期的に考えるのではなく長期的に考え、色々な経験を積むことが大切だと痛感する。
日色君が就職した1988年、都市銀行がバブル景気を享受し絶頂だった。しかし、バブル崩壊とともに急速に業績が悪化した。その後合併による生き残りを図ってきたが、最近は大幅な人員削減に踏み切るなど、存亡の危機にある。一方、当時は不人気だった外資系企業は、その後グローバル化を受けて日本市場で存在感を増している。以前から日本では銀行が多すぎることやグローバル化が進むことは指摘されていたが、日色君はいち早く行動した。
1988年にはまだ戦後の労働運動の名残があり、日本石油だけでなく多くのメーカーで、組合対策を所管する人事・労務部門が力を持っていた。ところがその後、組合が弱体化して人事・労務部門の重要性が低下する一方、規制緩和・国内需要減少など市場環境の悪化を受けて販売部門が相対的に重要になった。組合の弱体化や規制緩和・国内需要減少は当時から言われていたことだが、杉森さんは的確に方向転換した。
二人が正しい選択をできた理由はよくわからない。将来を見通す確かな目があったのかもしれないし、たまたまということかもしれない。ただ、流行を追わず人と違ったことをやる、積極的に経験の幅を広げる、という思考・行動が成功に結び付いたことは間違いない。これから長い職業人生がある若い世代には大いに参考になりそうだ。
私たちはどうしても、その時々の流行を追いかけがちだ。しかし、現在の流行が長期間そのまま続くことはまれだ。未来の流行を考えても、凡人にわかるはずがない。若い人のキャリアには無限の可能性があるのだから、流行に流されず、経験の幅を広げることを中心に考える方が良いだろう。
同じ4月24日の日経新聞は、別刷りの第2部で就職人気ランキングを紹介していた。経営危機から復活した航空会社が上位にランクされ、メガバンクがランクを落としている。現在好調な業種が上位に、不調な業種が下位にランクされるのは、いつの時代も変わらないようだ。前途有望な若者が一時の流行に踊らされて未来の斜陽産業に吸い寄せられることがないよう切に祈る。
(2018年4月30日、日沖健)