学歴フィルターは是か非か

 

来年4月入社に向けた就職活動がたけなわのこの時期、学歴フィルターがよく話題になる。学歴フィルターとは、企業が学歴によって採用を選別することだ。低ランクの大学の学生が会社説明会に応募したら「締め切り」と表示されたが、有名大学の学生と偽って応募したら「募集中」になっていた、といった話をよく聞く。

 

今回は、ネットで熱い議論が続く学歴フィルターの是非について考えてみよう。

 

まず、世界的に見ると、学歴フィルターはどこの国でも普通に存在する。私はアメリカのMBAで学んだが、「MBAランキング・トップ50向けの説明会」といった露骨なフィルターがあった。その後3年働いたシンガポールでもシンガポール大学OBOG向けのイベントがあった。建前では各社とも「学歴不問」としている日本とは大違いだ。

 

日本では、1980年代まで大手企業は、学歴によって採用可能な大学と採用しない大学を線引きしていた。いわゆる「指定校制」である。

 

ところがバブルの頃、採用数が拡大し、指定校だけでは必要数を確保できなくなった。売り手市場で学生に開かれた会社であるとアピールする目的もあって、指定校制を廃止する企業が増えた。1991年にソニーが大手企業では最初に「学歴不問」を宣言し話題を呼んだ。内密に指定校制を続ける企業は多かったが、制度の存在を公言する企業はなくなった。

 

そして、この5年間くらい、学歴フィルターと名前を変えてこの問題が注目を集めている。これはインターネットの普及が大きい。ネットでエントリーシートを作成・提出するのが一般化し、応募が容易になったため、人気企業には何万もの応募が殺到するようになった。企業は採用活動の手間を省くために、学歴フィルターを活用するようになった。

 

こうした経緯を考えると、企業にとって学歴フィルターには一定の意味がある。大手企業でも人事部採用グループは十名足らず。その数で何万もの応募者に丁寧に対応するのは困難で、何らかのフィルターで絞り込むことが欠かせない。応募者のことがよくわからない初期の状況で、学歴は能力の有無を判断する最も明快なフィルターだ。

 

では、学生にとってはどうか。答えは価値観によって異なる。機会の平等を重視する人は、学歴フィルターは不公平で、差別だと訴える。一方、努力したプロセスや結果を重視する人は、学歴が低いのは本人の努力不足であり、何ら問題ないと考える。価値観の対立なので、議論は平行線をたどる。

 

ただ、個人的には学歴フィルターは学生にとっても悪いことではないと思う。なぜか。

 

学歴フィルターを積極的に使う企業は、採用手続きが面倒くさいというだけでなく、実際に学歴を重視している場合が多い。採用だけでなく、配属・異動・評価・報酬など人事制度全体で学歴をかなり重視している。大手銀行の新人の配属先は、東大・京大なら本部、旧帝大・早慶なら山手線の内側の支店、その他は山手線の外側の支店という具合だ。大企業は社員数が多く、部門によって業務が異なり、学歴が最も明快な評価基準だからだ。

 

仮に大企業が世間の批判を受けて学歴フィルターを廃止したら、低ランク校からも入社するケースが増える。ただ、採用だけが変わり他の人事制度が変わらないなら、低ランク校出身者は組織の中でずっと冷遇される。これは本人にとって不幸なことだ。

 

学歴フィルターによって、低ランク校出身者が学歴重視の伝統大企業に迷い込んで不幸な人生を送ることが避けられる。学生にとっても学歴フィルターは良い仕組みなのだ。

 

ただ、社会人の能力は、学歴だけで測れるものではない。低ランク校出身者でも、社会で大活躍する人はいくらもいる。伸びている会社は、学歴にこだわらず優秀な人材を採用し、育成し、活躍のチャンスを与える。人事部門にとっては面倒だし、なにがしかの工夫が必要だが、人材が企業の盛衰を決めることを認識し、知恵を絞って取り組んでいる。

 

学歴フィルターを実施する企業の経営者・人事部門は、採用の手間が省けて「やれやれ」だろうが、企業が発展するチャンスを逃していることに気づく必要がある。学歴フィルターそのものは問題ないが、学歴フィルターに頼り切る企業は大いに問題だと言えよう。

 

(2018年4月23日、日沖健)