警察庁は4日、昨年の全国の交通事故死者が3694人で過去最少だったと発表した。過去最多だった1970年の1万6765人からは、4分の1未満に激減している。1960年代後半、交通事故死者数が日清戦争の戦死者数を上回ったことから「交通戦争」という言葉がよく使われたが、隔世の感がある。
交通事故死者が減少している原因について、小此木八郎・国家公安委員長は「これまでの道路交通法の改正などに加え、国民一人一人が交通事故防止に向けて積極的に取り組んできた」成果だとしている。たしかにそれも一因だろうし、警察としては、自分たちの活動を自讃し、国民の協力に感謝するのだが、真の原因かと言われると首をかしげる。
年代別で交通事故をよく起こすのは、10代後半から20代前半の若者だ。若者が未熟な運転や危険運転で事故を起こしやすいのは、常識でわかる。近年の少子化で若者の数が減り、さらに車離れで自動車に乗らなくなっている。車を運転する若者が減ったから交通事故死者が減った、というのが実態だろう。
ほぼ同じ構図が、殺人事件による死亡者数にも当てはまる。殺人事件による死亡者数は、1955年の2119人をピークに減少を続け、2016年には289人になっている。殺人事件の犯人は10代後半から20代の若者が多いことから、少子化が死亡者数減少に大きく寄与していることは間違いない(交通事故と少し違って、所得水準が上がったことも大きいだろう)。
こうした数字を素直に解釈するなら、日本はどんどん安全で住みやすくなっている。交通事故・殺人事件の被害者の遺族・関係者には申し訳ないが、交通事故や殺人事件は、少子化の現代日本ではほぼ解決済みの小さな問題だと言えよう。
警察は、高齢者による事故数が高止まりしていること、ネットを舞台にした新種の殺人事件が起きていることなどから、今後も交通事故・殺人事件の減少のために対策を強化していくという。
警察が立場上、対策強化を表明するのは当然だ。問題はマスコミや国民の受け止め方である。
マスコミは、交通事故・殺人事件が激減している事実をほとんど報道せず、高齢者による高速道路の逆走、煽り運転、出会い系サイトを舞台にした殺人、といった象徴的・ショッキングな事件を競って報道している。その影響を受けてか、ネット掲示板では、「危険運転が増えて、安心して運転できなくなった」「凶悪犯罪が増えて、治安が悪化している」といった勘違いコメントが氾濫している。解決済みの小さな問題を悲観している状況だ。
逆に、もっと大騒ぎしても良いのに至って静かなのが、経済の問題だ。日本は、公的債務の膨張、企業の国際競争力の低下、実質賃金の減少、社会保障制度の崩壊といった問題に直面している。いずれも、長期的には国家や国民生活を破壊しかねない重大な問題だ。
ところがネットでは、インチキ評論家の「公的債務は逆に国民の資産だから問題ない」「企業の倒産も家計の破産も増えていない」「中国・韓国に比べたら社会保障は充実している」といった慰め・気休めが支持を集め、真剣な議論は行われていない。未解決の大きな問題を楽観している状況だ。
なぜ解決済みの小さな問題を悲観し、未解決の大きな問題を楽観するのだろうか。交通事故・殺人事件は、ビジュアル性が高く、イメージしやすい。問題の構造が単純で、解決策を考えやすい。考えやすいから考える、考えるとやはり心配になってくる。経済の問題はその逆だ。
私は新年に当たり、日本にとって、クライアントにとって、そして自分自身にとって未解決の大きな問題が何なのか、あれこれ考えている。皆さんも未解決の大きな問題を見つけ出し、解決に取り組み、素晴らしい1年にしていただきたい。
(日沖健、2018年1月8日)