北朝鮮情勢がにわかに緊迫している。対話ムードが醸成されてきた矢先の先月26日、短距離ミサイル3発を日本海に向けて発射した。つづいて29日早朝、北海道を超えて太平洋上に落下する弾道ミサイルを発射し、日本を混乱に陥れた。さらに昨日早朝、6度目の核実験を強行した。今週9月9日は北朝鮮の建国記念日で、さらなる挑発が予想される。
一方、トランプ大統領は、北朝鮮が核実験を強行したら軍事行動も辞さないとかねてから表明している。どういう展開になるのか、いよいよ
ところで、個人的に気になるのは、日本の専門家やマスコミが「北朝鮮のミサイル発射や核実験は、過去からやってきた挑発の一環。アメリカを交渉のテーブルに誘い出すのが狙いで、北朝鮮が日米韓の領土を攻撃することはありえない」と口を揃えていることだ。
たしかに、北朝鮮が日米韓の領土にミサイルを撃ち込んだら、アメリカが北朝鮮に報復し、金正恩政権はたちまち崩壊するだろう。合理的に考えれば、金正恩は自分を破滅させる暴走をすることはない。
ただ、後から振り返ると、あるいは他国から見ると、まったく合理的でない理由で戦争の火ぶたが切られたのが、人類の歴史だ。現在の北朝鮮情勢に最も酷似しているのは、他ならぬわが国の対米開戦である。
1941年の日本は、ABCD包囲網による貿易制限と日中戦争の負担で、経済が疲弊していた。南部仏印進駐で8月にアメリカから石油禁輸措置を受け、いよいよ苦境に追い込まれた。当時、東条英機ら軍上層部は、アメリカに勝てるとは誰も思っていなかった。しかし、日中戦線の膠着や経済のじり貧で軍の若手将校らの不満が急速に高まる中、クーデターを未然に阻止して天皇制を維持するには、自分たちを追い詰めようとするアメリカと戦うポーズを見せるべきだ。しかし、ファイティングポーズを取って交渉するだけではらちが開かない。最初に真珠湾のアメリカ太平洋艦隊にガツンと一撃を加えれば、戦意を喪失したアメリカと有利な条件で交渉を成立させることができるだろう・・・。
経済の疲弊・経済制裁・クーデター阻止・体制維持・勝てるはずがない相手・希望的観測など、現在、置かれた情勢や指導者の思考回路という点で、戦前の日本と現在の北朝鮮は酷似している(もちろん、異なる点も多数ある)。さすがに今すぐということはないだろうが、向こう3年くらいのレンジで言えば、専門家が一笑に付すほど開戦の可能性が低いとも思えない。
ここで問題なのは、「合理的な思考」の意味だ。
われわれは、「勝てるはずないアメリカにミサイルを撃ち込もうとする金正恩って、非合理的だな」「さすがにそんな非合理なことしないだろう」と考える。しかし、金正恩はアメリカに勝つことではなく、金王朝の体制維持を目的としている。この目的を実現するためには、核を持たずに普通に交渉して相手にしてもらえない。それよりもミサイルで脅かしながら交渉した方がはるかに確率が高い、と金正恩は考えている。
これは、サイモンが提唱した限定合理性の状態である。人間の思考は、完全に合理的でも、まったく非合理的でもなく、情報の制約などから限定された範囲で合理的であるという考え方だ。われわれが常識と考えるアジアの平和や北朝鮮国民の救済といった目的からすると、金正恩はまったく非合理的だ。しかし、体制維持という目的に関して、金正恩は限定合理的なのだ。
もちろん、北朝鮮国民を抑圧する狂気の体制を維持しようという目的自体が間違っているので、少しくらい合理性があっても、金正恩の暴走は断じて許されるものではない。今後も、日米韓は中露も含めて緊密に連携して、経済制裁を強化していくべきである。
ただ、経済制裁を強化するほど、戦前の日本と同じように、北朝鮮が暴発するリスクが高まっていくのは、悩ましいところだ。「金正恩が開戦という非合理な決定をするはずない」という誤った楽観論を封印し、万一の事態に備える必要がある。
(日沖健、2017年9月4日)