私大の定員を規制するべきか

 

先週の各紙報道によると、文部科学省は2018年度以降、東京23区内にある私立大学の定員増加を認めない方針を固めた。23区内で新学部を設置したい大学には、既存の学部の定員をその分、減らすことが求められる見込みだ。さらに先週、政府は地方の大学の活性化を図る新たな交付金を創設する方針を固めた。いずれの施策も、若者が地方を離れ、東京に一極集中するのを防ぐのが狙いだ。

 

昨年の天下り問題や今年の加計学園問題などでお騒がせの文部科学省。何とか国民の信頼を回復したいところだが、今回の施策もかなりピント外れの印象だ。というより害悪が大きいのではないか。

 

東京23区の大学で定員を規制し、地方で規制しなければ、地方の大学で定員が増える。今後、入学希望者数が増えれば、地方の大学の入学者数が増える(逆に入学希望者数が減れば、定員割れがますます深刻化するが)。学生数に関しては、文部科学省の狙いが実現する可能性がある。

 

しかし、地方で増える学生の学力はどうだろうか。常識で考えて、学力の高い高校生は就職面などを考慮し、既存の一流大学への進学を希望する。京大・阪大など地方の一流国立大学は赤字経営のため増設・新設はしないだろうから、増設・新設されるのは、一発逆転を狙う三流私大だろう。この規制によって、試験用紙に名前を書けば誰でも合格できる“Fラン大学”が地方でますます増え、「学力のない、貧乏な家庭の若者は地元の三流大学へ進む。学力のある、裕福な家庭の若者は東京の一流大学へ進む」という序列が定着してしまうのではないか。

 

アメリカではハーバード大がマサチューセッツ州ケンブリッジに、スタンフォード大がカリフォルニア州にあるように、一流大学は地方に分散している。イギリスのケンブリッジ大・オックスフォード大も地方にある。日本でも近年、国際大学(新潟)、高知工科大学、北陸先端科学技術大学院大学(石川)、立命館アジア太平洋大学(大分)といった地方大学が特色ある教育で評価を高めている。大学の優劣に地域は関係なく、大学が経営努力をするかどうかだ。

 

東京の私立大学の定員を規制しても、それによって地方の大学が浮かばれるわけではない。「学力なんてどうでも良いから、とにかく若者が地方に住み続けてほしい」というのが文部科学省の狙いなら、地方経済活性化策としては一理ある。ただ、文部科学省が担う教育政策としてははなはだ疑問だ。

 

そもそも、国が大学の定員を規制しようという発想が良くない。加計学園問題でも、文部科学省は獣医師を過剰にさせないようにと長年、獣医学部の新設を規制してきた。その結果、大学間・獣医師間の競争がなくなり、日本の獣医学の研究・治療レベルは国際的に見て極めて低くなってしまった。獣医学だけでなく、大学と業界を守るための規制が国際競争力を低下させ、結果的に大学・業界の長期的な存立を危うくしてしまうのだ。

 

ここは発想を180度変えて、一定の要件を満たすなら新設・増設をすべて認めて、うまく行くかどうかは大学側の経営努力と市場原理に任せるのはどうだろう。経営努力をした大学は競争力を高めて勝ち残る一方、経営が立ち行かなくなる大学は淘汰される。大学を守るのではなく、競争で質を高めていくわけだ。

 

アメリカは色々な産業分野で世界的な競争力を持っているが、ハーバード大と金融業界、スタンフォード大とIT業界のように、密接な産学連携が背景にある。インド・中国など世界中の優秀な頭脳がアメリカの大学に集まり、卒業したらウォール街やシリコンバレーで働く。アメリカで定着したこうした好循環が、日本ではすっかり逆回転してしまっている。

 

いま、加計学園問題で大学に対する国の規制のあり方が注目されている。そういうせっかくのチャンスなだけに、国際競争力を見据えた議論と抜本的な改革を期待したいところである。

 

(日沖健、2017年8月21日)