5月8日のコラムで、日本企業では従業員の職務範囲が不明確なことが長時間労働を招いていると指摘した。日本人の働き方でもう一つ特徴的なのは、マニュアルを軽視・無視することである。今回は、マニュアル軽視の弊害について考えてみたい。
“マニュアル”という単語を聴いて、たいていの日本人は「杓子定規」「真心に欠ける」「創造性の否定」などとネガティブに捉える。実際に多くの企業で、マニュアルが整備されていなかったり、整備されていてもあまり活用されていなかったりする。私のサラリーマン時代を振り返っても、何かトラブルがあったらマニュアルを参照したが、マニュアルに基づいて仕事をすることはなかった。
日本人・日本企業がマニュアルを軽視するのには、色々な理由がある。「日本人は曖昧な状態が好きだから」「マニュアルにない真心を重んじるから」「日本の労働者は優秀なのでマニュアルを必要としないから」。すべて間違いではないが、個人的には、日本経済の主役だった自動車・造船・機械などの産業でマニュアルがあまり有効でないことがカギを握っているように思う。
たとえば自動車は、1台当たり2~4万点という多数の部品を使って製造される。しかも大半がその車種でしか使わない特注部品だ。当然、設計・工程・作業は非常に複雑になり、製造段階でミス・不具合が発生しやすい。
アメリカの自動車メーカーは、設計あるいは生産技術の技術者がミス・不具合の細かい対策を考え、それをマニュアル化して製造現場に展開する。ただ、このやり方だとマニュアルが膨大な量になり、結局、現場の作業員は「いちいち見てられないよ」という話になる。
それに対し日本の自動車メーカーは、どれだけ設計を精緻化しても想定外のミス・不具合が出るのは不可避だと考え、マニュアル化は必要最低限にとどめる。日ごろから現場の作業員を徹底的に教育し、ミス・不具合が出たら作業員が自発的に原因を究明し、対策を考え・講じるようにする。トヨタでいうカイゼンである。
つまり、ミス・不具合に事前に設計者のマニュアルで対応するのがアメリカ、事後的に作業員の問題解決能力で対応するのが日本、というわけだ。そして、経営者・経営学者は、自動車・造船・機械といった複雑な製品では日本のモノづくりは有効だ、マニュアル軽視でも何ら問題ない、と主張する。
ただ、この日本独特のマニュアル軽視で今後も大丈夫なのだろうか。過去は大丈夫だったが、現場の問題解決能力に依存した日本のモノづくりは、どんどん有効性を失っているのではないか。
電機など多くの製造業で、1990年代以降、標準部品の組み合わせで簡単にモノ作りができるようになり(モジュール化)、新興国メーカーが台頭、日本のメーカーは衰退した。今は健在な自動車も、電気自動車の普及などでモジュール化が進めば優位性を失う可能性がある。また、サービス業を中心に非正規雇用や外国人労働者が増え、現場での高度な問題解決能力を期待しにくくなっている。
趨勢としては、日本だけでなく世界的に問題解決能力で事後的に対応するのが有利な領域が減り、マニュアルで事前に対応するのが有利な領域が増えている。「マニュアルなんて糞くらえ」と豪語している日本の経営者にとっては、認めたくない現実だろう。
経営者は、自社の製品・サービスではマニュアルによる事前対応が有効なのか、問題解決能力による事後対応が有効なのかを冷静に見極める必要がある。そして、マニュアルによる事前対応が有効なら、思い切ってマニュアル化とマニュアルに基づく事業運営を進めるべきだ。
その前提として、経営者は自社のマニュアル化の現状を正確に把握する必要がある。自社の業務状況を知らない経営者は論外だが、競合他社と比べてマニュアル化が進んでいるのか、遅れているのか、把握していない経営者が意外と多い印象だ。さらに、マニュアルという単語に拒否反応を示し、そもそもマニュアル化について問題意識を持っていない経営者が多いのは、たいへん残念なことである。
(日沖健、2017年6月19日)