ここ十二年ほど、中小企業大学校の中小企業診断士養成課程や産業能率大学のマネジメント大学院で教えてきた。その関係で、毎年数名の受講者・学生から将来のキャリアについて相談を受ける。先週も、地方銀行に勤務する中小企業診断士の卵から、コンサルタントとしての独立開業について相談を受けた。
もちろん、私はカウンセリングとかの専門家ではないし、コンサルタントとして大成功しているわけではないのだが、少しでもお役に立てればと思い、こういう人生相談には親身にお答えするようにしている。
これまでたくさんの相談を受けてきて実感するのは、自分のキャリアについて真剣に考える若い世代が着実に増えていることだ。
中小企業診断士養成課程の受講者は、8割以上が地方金融機関からの派遣である。地方の金融機関の行員、しかも会社の費用負担で東京の学校に派遣されていると言えば、各地域の将来を担うエリートだ。おとなしく銀行に勤めていれば一生安泰だろうに、独立して一旗揚げよう、自分の力で世の中を良くしよう、と望むのは、見上げた根性である。世間では「最近の若者は草食系で意欲に乏しい」と言われるが、「そうでもないのかな」と思う。
先週の相談は、すでに2年後に独立開業する決意を固めており、「独立前にどういう準備をしたらよいのか?」というものだったので、かなり細かいアドバイスをした。しかし、相談の8割以上は「独立しようか、するまいか迷っています。私は独立した方が良いでしょうか?」というものである。そういう相談に対しては、「迷っているなら止めた方が良いですよ」と答えている。コンサルタントは(他の商売もそうだが)、ちょっと憧れて“ものは試し”でやってみて大成功するほど甘い商売ではない。
ところで、独立開業を希望する若者は、たいてい「起業家やコンサルタントは素晴らしい職業、サラリーマンはつまらない職業」と考えている。アメリカのMBAでは、「能力と自信がある者は他人を使って事業をする(起業家)。能力はあるが、自信がない者は他人にアドバイスする(コンサルタント)。能力も自信もない者は、他人に使われて働く(サラリーマン)」と言われる。「職業に貴賎はある」というわけだ。
一方、日本では、昔から「職業に貴賎はない」と言われる。政治家でも、経営者でも、サラリーマンでも、ゴミ拾いでも、上下の隔てはない、億単位の年収でも時給500円でも、働いていることに変わりはない、というわけだ。
個人的には、「職業に貴賎はある」と考える。ただ、MBA的に「起業家やコンサルタントはエライ職業、サラリーマンはダメ人間がやる職業」という意味ではない。職業そのものに貴賎があるわけではなく、自分の能力や適性に合った職業を選択し、世の中に貢献しているかどうかだ。マックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で指摘した“ベルーフ(beruf天職)”という考え方である。
マネジメント能力や経営知識の乏しい若者が起業に挑戦しても、気合だけでは成功しない。世の中に貢献していないので、彼にとって起業家は悪い職業だ。一方、恵まれた能力があるのに、誰にでもできる仕事に従事しているのは、せっかくの能力の持ち腐れだ。こちらも、社会的には人的資源の無駄遣いということで悪い職業だ。
結局、「コンサルタントになりたい!」と考える人にとって大切なのは、好きだとか、憧れているとかではなく、コンサルタントという職業が自分の能力や個性と合っているかどうかだ。能力・個性と合致していたら良い職業だし、合致していないなら悪い職業だ。
では、コンサルタントにはどういう能力が必要か、どういう個性を持った人がコンサルタントに向いているのか、という話になる。こちらは話すと長くなるので、また別の機会に。
ただ、いくつかの能力の中で一つだけ、“物ごとを決める能力”あるいは“決断力”は極めて大切だ。コンサルタントが企業の意思決定についてアドバイスをするからには、自分自身も決めることができなければならない。物事を決められないコンサルタントからお金を払って意思決定のアドバイスをもらおうという奇特な経営者はいないだろう。
先ほどの人生相談に話を戻そう。コンサルタント業界について先輩から情報収集しようという相談なら、まったく問題ない。しかし、コンサルタントになるべきかどうか悩んでいて自分で決められない、ということなら、「コンサルタントには向いていないから、止めた方が良い」という結論になるのである。
(日沖健、2017年2月13日)