東芝の転落は安易なM&Aへの警鐘

 

東芝が経営危機に直面している。主力の原子力事業で巨額の損失を計上し、3月期決算では債務超過に転落する見込みだ。近いうちに銀行や同業他社などからの支援が得られなければ、石坂泰三・土光敏夫という2人の経団連会長を輩出した名門企業が破たんしてしまう。

 

東芝が経営危機に陥ったのはなぜだろうか。2015年夏に不正会計が明るみに出て、組織の隠蔽体質が問題になった。その背景として、社員に達成困難な目標を強いる“チャレンジ”が話題(一種の流行語)になった。

 

しかし、不正会計やチャレンジは、東芝が転落した直接の原因ではない。色々な事業の中から原子力事業を主力事業に選択したこと、その原子力事業で2006年に買収した米ウエスチングハウスが極度の経営不振に陥ったことが原因だ。不正会計やチャレンジは、原子力事業の不振をなんとか挽回しようとする過程でエスカレートしたものであって、トップの経営戦略の判断ミスがそもそもの問題である。

 

では、原子力事業への「選択と集中」やウエスチングハウス買収を決定した西田元社長に責任があるかというと、微妙なところだ。

 

経営法務には、経営判断原則がある。これは、「取締役の行った経営上の判断が合理的で適正なものである場合は、結果的に会社が損害を被ったとしても、裁判所は、取締役の経営事項については干渉せず、当該取締役も責任を負わない」という考え方だ。仮に訴訟になっても、この原則によって「西田元社長に法的責任はない」という司法判断になろう。

 

ただ、スッキリしないのは、ウエスチングハウスの買収が本当に“合理的で適正”な経営判断と言えるのかどうかだ。東芝は、三菱重工業やGE・日立製作所連合と激しく競りあった末、ウエスチングハウスを買収した。買収金額は50億ドル(6200億円)、当初予想された金額の2倍以上だった。三菱重工業らとの競り合いの中で価格が吊り上がってしまったわけで、典型的な“高値掴み”である。

 

東芝だけではない。2000年のNTTドコモによる米AT&T買収など過去のM&Aの失敗事例は、ほぼ例外なく高値掴みをしてしまっている。築地市場の初セリと同じで、経営者が「何としても買収したい!」と考えると、冷静な判断力を失い、採算性を度外視して買収に突き進んでしまうのだろう。

 

2000年以降、日本企業のM&Aが急増している。株主は経営者にM&Aの実施を要求し、マスコミはM&Aを実現させた経営者を褒めそやす(東芝・西田社長も大絶賛された)。しかし、M&Aは、原理的には企業価値に対してニュートラルで、良いことでも悪いことでもない。

 

時価総額200億円のA社が時価総額100億円のB社を買収しても、時価総額300億円のAB社が生まれるだけだ。企業規模が大きくなって経営者は鼻高々だろうが、株主にとっても社会にとっても、プラスもマイナスもない。M&Aが「成功した」と言えるのは、その後のシナジー効果や合理化によってABの時価総額が400億円とか300億円を超えた増加した場合だけだ。

 

ここでA社の経営者がB社を300億円で200億円高値買いすると、AB社の発足時の時価総額は100億円(=A社200+B社100-買収プレミアム200)になる。本来の時価総額300億円よりも200億円も水面下からスタートするので、その後経営努力をしても、企業価値を高めるのは容易でない。

 

企業経営の基本は、自分たちの手で新しい商品、新しい事業を創り出し、顧客と社会に新しい価値をもたらすことだ。これが企業の顧客・社会に対する最大の貢献である。もちろん、ソフトバンクがボーダフォンを買収して携帯電話業界の参入障壁を打破したように、M&Aで「時間を買う」ことは有効だ。ただ、あくまで経営戦略を実現するための手段であって、M&Aによる規模拡大が企業経営の目的や経営戦略の切り札になるということはあり得ない(石油や鉄鋼のような、規模が決定的に重要な装置産業は除く)。

 

企業規模拡大やtoo big to fail(大きすぎて潰せない)を狙った安直なM&Aに突き進む経営者も問題だが、M&Aを無邪気に礼賛する投資家・マスコミの罪も重い。東芝の転落によって、日本企業の安易なM&Aがなくなる方向に向かうなら、不幸中の幸いだ。

 

(日沖健、2017年1月30日)