企業の退職金制度が曲がり角を迎えている。
このところ、大企業の退職金支給額が年間2.5%ずつ減っている。厚生労働省『就労条件総合調査』によると、直近の2013年は1,940万円で、十年前の2,500万円から560万円も減っている(大卒・大企業・定年退職の場合)。このままのペースで減り続けると、現在35歳の人が25年後に手にする退職金は約1,000万円まで減り、計算上2060年代に退職金は消滅する。
企業には当たり前のように退職金制度が存在し、従業員は退職金をありがたがっている。しかし、これは実に不可解なことだ。
退職金の本質は、給料の後払いである。新入社員が人事部から「今後、皆さんの給料の一部を支払い停止し、40年後にまとめて支払います」と真実を説明されたら、たいていの新入社員は「本当にもらえるのかな」と不安に思い、「すぐ払ってよ」と希望するはずだ。労働基準法では、企業は給料を「毎月1回以上」「一定の期日を定めて」「全額」支払うのが原則で、何十年後に支払うというのは、詐欺的だ。どうして退職金が労働基準法の例外として認められているのか、不可解だ。
多くの日本企業は、せっかく採用した従業員の離職を防ぎ、長期勤続してもらうために、勤続年数が短いうちは退職金支給額がほぼゼロで、勤続年数が20年とか30年を超えると急速に支給額が増えるという制度設計をしている。そのため中途退職者は、雀の涙くらいしか退職金をもらえない。また、懲戒解雇した従業員には退職金を支払わないことが一般的である。給料の後払いという退職金の本質からすると、働いた分の給料を支給しないのは賃金不払いで、労働基準法第24条に違反しているのではないだろうか(懲戒解雇者への退職金不支給は法律違反ではないとする判例があるが、この司法判断は疑問)。
このように、給料をすぐに満額支払わない退職金制度はまったく理不尽だ。もちろん、企業が定年退職時にインセンティブを支給することで従業員に長期勤続を促すのは、まったく自由だ。問題は、退職金は通常の給料と比べて所得税が大幅に軽減されていることだ。長期勤続だけでなく税制上のメリットが大きいから、企業・組合は給料を減らし、原資を退職金に回すという選択をする。事実上、国が退職金制度および長期勤続を強力に奨励している形だ。
毎月の給料を減らし、退職金に回し、長期勤続者だけが恩恵に預かる仕組みが、企業や労働者、あるいは日本経済にとって本当に良いことなのだろうか。
企業では、40代になると、出世競争の勝負はだいたいついている。解雇規制が厳しい日本では、不要になった社員を解雇できないので、中高年社員は解雇されるでもなく、仕事を与えられるでもなく、死蔵している。いわゆる“社内失業”で、その数は大企業を中心に数百万人に上ると言われる(600万人という説があるが、これは多すぎであろう)。
しかし、大企業で出世できなかった中高年社員が無能かというと、そうではない。元々頭が良い上に、入社後十分な教育訓練を受けているので、人材が手薄な中小企業・ベンチャー企業に転職すれば、活躍できる余地が大いにある。死蔵中高年社員の転職は、企業のためにも、本人のためにも、社会のためにも良いことだ。
実際に大企業の死蔵中高年社員がなかなか転職しないのは、一つは給与水準が下がってしまうこと、もう一つは退職金を棒に振りたくないからだ。
変革期の日本では、成長分野でベンチャー企業を増やし、産業構造を転換することが期待されている。そのために女性とともに活躍が期待されるのが、大企業の死蔵中高年社員だ。国が退職金制度を許容し、税制上優遇しているのは、こうした期待される変化を政策的に押しとどめるものだ。
安倍政権が進める働き方改革では、女性活用と非正規労働者の待遇改善がクローズアップされている。たしかにそれらは重要な政策テーマだが、個人的には、大企業の死蔵中高年社員の流動化も、同じくらい重要な課題だと思う。「2060年まで待っていれば、いずれ退職金はなくなるんだから」ではなく、即刻、退職金制度を廃止、少なくとも退職金優遇税制を廃止してほしいものである。
(日沖健、2017年1月9日)