社会的合意形成は進むか?

 

お正月と言えば年賀状。しかし、近年、年賀状には強い逆風が吹いている。日本全体で2004年正月に約44.6億枚でピークだったのが、昨年は30.2億枚まで激減している。この間のSNSの普及が影響していることは間違いない。

 

年賀状は、電子メールやSNSと比べて購入・作成・送付などに手間がかかる。多忙な社会人にとって、師走の忙しい時期に年賀状を出すのはかなりの苦痛だ。従業員数十名の中小企業でも数千枚出すことも珍しくなく、コストも馬鹿にならない。また、年賀状で住所を開示することを躊躇する国民も増えているらしい。

 

こうした事情から、年賀状という習慣が世の中からなくなってほしいと秘かに願っている国民が多いに違いない。当の日本郵政も、かつて年賀状はドル箱だったが、正月の配達アルバイトの確保が難しくなっていること、2009年に郵便局員が年賀状販売のノルマを苦に自殺し、「自爆営業」が社会問題化したことから(昨年、遺族と和解)、できれば年賀状を止めたいと考えていることだろう。

 

おそらく国民の大半が「年賀状なんて止めてしまえ!」と願っているのに、そういう議論に盛り上がらないのはなぜだろう。

 

誰しも他人から叩かれたくないので、日本の伝統文化を否定して「とんでもないヤツ」と言われるのを恐れる。政府か有力者が「年賀状を止めましょう」と言ってくれれば賛成するが、自分からは決して言わない。政治家も国民も、「あと二十年もすれば自然消滅するから」と静観し、社会的合意が得られていない状況だ。

 

年賀状があることを止める社会的合意形成の難しさの例だとすれば、新しいことを始める社会的合意形成の難しさを象徴する最近の事例が、自動車の自動運転である。

 

近年、自動運転の技術が急速に発達し、完全自動運転が実現に近づいている。ただ、これをすべての乗用車に義務化しようという議論は、あまり盛り上がっていない。

 

完全自動運転が義務化されれば、交通事故・危険運転・違法運転がなくなるので、事故の被害・渋滞・違法駐車・騒音が減る。警察関係の予算を大幅に削減できよう。また、高齢者や障害者も自動車を利用できるようになるし、ドライバーは運転の時間を有効活用できる。社会が、国民生活が劇的に良くなるし、国内だけでも数兆円の経済効果を期待できる。

 

ところが、完全自動運転の議論では、「もし自動運転で事故が起こったら、誰が責任を負うのか。運転手か、自動車メーカーか。技術的に完ぺきな状態になるまで、自動運転は認められない」という話になる。いかなる技術も100%完ぺきという状態はないから、この議論を始めると永遠に完全自動運転は実用化できないことになる。

 

単純に考えると、国が自動運転技術の安全性を審査し、事故が起きたら国またはメーカーが責任を負えば済む話だ。現在の法律で問題があるなら、法律を変えれば良い。そういう発展的な解決策を模索せず、「絶対に大丈夫と言えるのか?」という議論で思考停止しているのは、新しいことを始める社会的合意形成の難しさを物語っている。

 

昨年は、イギリスのEU離脱やトランプ大統領が決まった。将来それが吉と出る可能性はあるが、多くのイギリス国民・アメリカ国民が選挙結果を後悔している通り、国民がポピュリズムに惑わされて生まれた、誤った社会的合意形成だった。

 

今年、日本でも重要な社会的合意形成が期待される。経済構造改革と財政再建だ。

 

安倍政権は大規模な金融緩和(とそれによる円安誘導)と財政支出でデフレ脱却と企業収益の立て直しを目指したが、4年経っても成果は出ていない。辛うじて日本経済に体力が残っているうちに、大胆な規制緩和で経済構造を改革する必要がある。また、団塊の世代が後期高齢者になる前に、年金・医療を改革し、財政を再建することが期待される。ともに、いつかやりたい改革でなく、いますぐ取り組むべき改革だ。

 

問題は、金融緩和と財政支出は容易に国民の支持を得られるのに対し、経済構造改革と財政再建は国民の痛みを伴うので、社会的合意形成が難しいことだ。

 

安倍首相は、自民党内にライバルが不在だし、自民党が国会で過半数を握っているから、本来、痛みを伴う改革に取り組みやすいはずだ。しかし、現実に国民に受けが良いエセ改革で4年間もお茶を濁しているのは、国民の支持が政権の生命線であり、国民を怒らせてはいけないと考えているからだろう。

 

この状況を変えるには、我々国民一人一人が正しい合意形成に向けてしっかり考え、声を上げていく必要がある。インターネット世論はゴミだと言われるが、社会的合意形成決のために決して無駄ではないのだ。

 

(日沖健、2017年1月2日)