卓球女子に見る英才教育の功罪

 

リオ・オリンピックの熱戦が終わろうとしている。日本は過去最多のメダルを獲得する大健闘で、国民に勇気と感動を与えてくれた。この勢いを維持してさらに強化に努め、2020年の東京オリンピックにつなげてほしいものである。

 

ところで、今回の大会で個人的に最も興味を覚えたのは、卓球女子だ。石川佳純・福原愛・伊藤美誠の各選手は、いずれも幼少の頃から英才教育を受け、十代で代表入りした。他競技でも英才教育は盛んだが、卓球女子の英才教育は、日本では最先端を行っている。近年、学校教育でも、企業の人材育成でも英才教育の必要性が叫ばれていることから、その功罪について考えてみたい。

 

卓球を一つの産業と見た場合、日本国内では他のスポーツを圧倒する成長産業だ。以前は“根暗スポーツ”の代表格だったのが、福原選手らの登場ですっかり人気スポーツになった。英才教育によって天才少年・天才少女が出現すると、マスコミの露出が増え、国民の注目を集める。すると、全国の少年少女が卓球選手を志すようになり、選手層が厚くなる。その中から石川選手・伊藤選手のような才能ある選手が後に続き、国際大会で活躍する。現在、日本の卓球女子では、英才教育から始まる好循環が確実に回っている。

 

英才教育は、試合で勝つための競技力にプラスだろうか。まず、幼少の頃から試合経験を積むことは、間違いなくプラスだろう。とりわけ卓球は、相手の戦術や心理を読むことが大切で、若いころから国際試合の経験を積むことで確実に競技力を向上させることができる。

 

ただし、今回のリオ・オリンピックは、卓球女子の英才教育の限界を露呈した大会でもあった。石川選手・福原選手は、世界王者・中国と戦う前に、北朝鮮やドイツの守備型選手を打ち崩せず、あっさり敗れ去った。何度も懸命にスマッシュを打っても楽々返球されたことから、素人目にも日本選手のパワー不足は明らかだった。

 

体力・体格で劣る子供が大人に勝つには、台に近いところ(前陣)から速いタイミングで打って、相手をかく乱するしかない。福原選手はその戦い方で小学校低学年の頃から大人を打ち負かした。しかし、テイクバックとフォロースルーがほとんどない小ぢんまりした打ち方が体に染み込んでしまい、大人になっても威力のある球を打てない(タイミングは抜群に速いが)。打ち方・打球の質に関しては、英才教育が競技力の向上を妨げていると言えそうだ。

 

卓球で日本よりも英才教育を徹底しているのが、中国だ。日本では、元卓球選手の父親・母親がわが子に思い思いに英才教育をしているケースが多いのに対し、中国の場合、国家ぐるみで英才教育を進めている。まず、全国規模の調査で運動神経の良い少年少女を発掘し、卓球に向いているかどうかをチェックした上で、有望な子供には親元から離れて合宿生活で練習させる。そのまま成長すれば代表選手になり、成長しなければ卓球をあきらめるか、国外移住して移住先での代表入りを目指す。

 

中国が実際にどういう練習をしているのかは定かではないが、おそらくラケットを使った練習だけでなく、体力強化も重視しているのではないか。日本選手が“普通の女の子体型”なのに対し、中国のトップ選手は、女子でも筋骨隆々の“アスリート体型”だ。一口に英才教育といっても、幼少時に近所の大人に勝つことを目指す日本(口では必ず「夢は世界チャンピオン」と言うが)と十数年後に世界で勝つことを目指す中国では、目的も中身もまったく違うのだろう。

 

かつて、中国が台頭する前の1970年代まで、世界の卓球をリードしたのは日本だった。近年、日本が男女とも中国を脅かすまで復活したのは、間違いなく英才教育の成果である。ただ、現在の英才教育をさらに突き詰めても、中国に勝つのは難しそうだ。英才教育のあり方について、中国から大いに学ぶ必要がある。

 

ところで、平等主義がはびこっていた日本企業でも、2000年頃から有望な若手・中堅社員を選抜し、英才教育でリーダーを育成する取り組みが広がっている。世界で戦うためには当然必要なことだが、本当に英才教育が機能しているだろうか。日本の卓球女子のように、スケールの小さいリーダー、現在のリーダーの“縮小コピー”しか育っていないのではないだろうか。英才教育を導入して満足するのではなく、その中身について謙虚に振り返る必要がありそうだ。

 

(日沖健、2016年8月22日)