ベネッセコーポレーションの原田泳幸会長兼社長(以下、個人名はすべて敬称略) が6月25日付で退任する。原田は日本NCRを振り出しに外資系企業で経験を積み、米アップルの日本法人、日本マクドナルドホールディングス、そしてベネッセを経営した。2013年にマクドナルドを販売不振で追われたのに続き、ベネッセでも経営不振の責任を取って退任する。
原田だけでなく、LIXILグループの藤森義明社長など、最近いわゆる“プロの経営者”の苦戦が目立っている。藤森は、米ゼネラル・エレクトリック(GE)からLIXILに招かれたが、自ら積極的に推進したM&Aの買収先で会計不祥事が発生し、経営改革の成果を実現できず、やはりこの6月に退任する。
二人が結果を出せずに退任したことを受けて、ビジネス誌やネットでは「日本企業にプロの経営者はそぐわない」という意見が広がっている。プロの経営者の報酬がかなり高額であることも反感を買っているようだ。しかし、二人が結果を出せなかったからといって、プロの経営者を否定するのはいかがなものだろうか。
まず確認しておきたいのは、原田や藤森はプロの経営者とは認めがたいという点だ。外資系企業で働いたことのある方ならおわかりだと思うが、海外大手企業は日本法人にほとんど自由裁量を認めていない。日本法人の社長といっても、本社の指示に従ってオペレーションを回しているだけで、やっていることは(英語をよく使う以外は)日本の大手企業の部長・支店長クラスと大差ない。原田も藤森も本当の意味での企業経営の経験を持っていないわけで、この二人の失敗を以て、「プロの経営者はダメ」と結論付けることはできない。
日本でプロの経営者というとまず思い起こすのは、日産のカルロス・ゴーンや日本航空の稲盛和夫である。この2社のように、昔から経営不振に陥った企業がプロの経営者を迎えて復活したケースはたくさんある。もちろん失敗もあるが、「日本企業にプロの経営者がそぐわない」というわけではない。
日本企業は、チームワークや経営の連続性を重んじる。高度成長期のように、「より良いものをより安く」が重視された時代には、この経営スタイルが絶大な威力を発揮した。しかし、1990年代以降、経営環境の変化が激しくなると、逆に経営戦略の転換を阻害するようになった。思い切った改革を進めるには、しがらみの多い社内の経営者よりも、外部からプロの経営者を招いた方が良い。
問題は、欧米諸国に比べて、日本では経営経験を持ったプロの経営者が少ないことだ。
まず、日本企業ではまだまだ年功序列制が色濃く残り、社長に就任するのは50代後半以降だ(東京商工リサーチの2015年調査によると、全国の社長の平均年齢は60.8歳)。60代後半から70代前半で退任する頃には、もはや他社で再び社長業に挑戦する気力も体力も失せている。せっかくの優秀な人材がサラリーマン人生の黄昏に1社だけ経営して引退するのは、人材の有効活用という点でもったいない話しだ。
また、理想的には、稲盛のように起業経験を持つプロの経営者が期待される。大企業を管理するのも難しいが、企業経営で最高に難易度が高いのは、なんといってもゼロから起業することだからだ。残念ながら、日本では起業は諸外国に比べて断然少なく、一代で大企業にまで発展させた本格的な起業家は数えるほどしかいない。
プロの経営者を増やすには、既存企業で社長に就任する年齢を引き下げるか、起業家を増やす必要がある。もちろん、いずれも簡単なことではない。
そこで、第3の方法として、大企業で有望な中堅社員に子会社や事業部門を任せることを通して経営者を育成するというやり方が考えられる。私はコンサルティングや企業研修で経営人材育成のお手伝いをしているが、子会社や事業部門を任せるところまできちんと実施している企業はほとんどない。
私の二十年来の知人の若山健彦は、長銀を飛び出してイーバンクの設立に参加し、投資ファンドなど数社の経営を経て、現在、東証1部の電子機器メーカー、ミナトホールディングスの社長をしている。日本では数少ない若手のプロ経営者だ。経営環境が激変し、プロの経営者への期待が高まっている今日、若山のようなプロの経営者がどんどん出てきて、活躍してほしいものである。
(日沖健、2016年6月20日)