日本のコンビニエンスストアの生みの親であるセブン&アイ・ホールディングス(HD)の鈴木敏文会長が退任した。自ら提案した人事案が承認されず、突発的に第一線から身を引いた意外な展開が、大きな波紋を呼んでいる。
簡単に経緯を振り返ると、まず、セブン&アイHDは、3月に取締役会の諮問機関として役員人事や報酬を審議する指名・報酬委員会を設置した。鈴木会長と村田社長、社外取締役の伊藤邦雄・一橋大学大学院特任教授と米村敏朗・元警視総監の4人が委員であった。鈴木会長は3月、この指名・報酬委員会に対し、セブンイレブンの井阪社長を退任させ、後任に古屋副社長を充てる人事案を提出した。
ところが、委員会で「セブンイレブンの社長の任期は7年」という以外に明確な理由の説明がなかったため、社外取締役は鈴木の提案に反対した。さらに、創業者で大株主の伊藤家の意向も踏まえるよう提案した。村田社長は伊藤雅俊名誉会長に人事案の承諾を得ようとしたが、拒絶された。最終的に、鈴木の人事案が取締役会に付議されたが、否決され、鈴木は突如引退を表明した。
鈴木会長が井坂社長を外そうとしたのは、自身の次男である鈴木康弘執行役員への世襲を意図したものと言われるが、本人は否定しており、真相はわからない。いずれにせよ、鈴木会長と伊藤家の関係が悪化し、伊藤名誉会長が鈴木会長に不信感を持ったことが、今回の異例の展開を招いた。
ところで、今回の一件で社外取締役の存在が大いにクローズアップされている。もし2人の社外取締役がいなかったら、鈴木会長の独断で当初の人事案が通っていたに違いない。報酬・指名委員会での議論もそうだが、社外取締役の提案で取締役会の投票を無記名式にしたことが否決に繋がった。
日本では、現経営者が後任の人事を独断で決めるのが通例だった。ところが、昨年から上場企業には社外取締役の選任が義務付けられ、セブン&アイHDのように指名委員会を設置する企業が増えている。今回の一件を、日本で社外取締役によるコーポレートガバナンスが機能した画期的な事例だと評価することができる。
今回の件を受けて、一部に「日本でもアメリカのように社外取締役を中心にした指名委員会が後継者を決めるべきだ」という意見が出ている。しかし、これはどうだろうか。
たしかに、アメリカ企業の取締役はCEO以外全員が社外取締役で、指名委員会は社外取締役で構成されている。ただ、指名委員会は、主体的に経営者を決めるわけでなく、現CEOが提出する人事案を形式的に承認するだけだ。現経営者が不祥事や業績不振で解任されたような非常事態を除いて、実質的に現経営者が後継者を決めている。「アメリカでは指名委員会が後継者を決めている」というのは、形式面はともかく、実態としては事実誤認だ。
当たり前だが、他に本職を持ち、月1度の取締役会に出席するだけの社外取締役は、事業のことも社内の人材のことも熟知していない。その会社にとって誰がベストの後継者なのか、的確な判断を下すのは困難だ。社外取締役は、今回のように、現経営者が提出する人事案にお目付け役として意見を述べたり、明らかにおかしいときには阻止したりするのがせいぜいだ。自社の事業や人材を一番よく知るのは、他でもない、現経営者である。経営者が自身の後継者を決めるのが合理的だ。
「そうは言っても、経営者は恣意的に決めてしまうのではないか?」という懸念があるだろう。たしかに現経営者は、どうしても恣意的になってしまう。それに対し、社外取締役なら第三者の視点から公平・客観的に後継者を選ぶことができる。ただ、公平さ・客観性を重んじると、どの会社でも似たような優等生が選ばれることになり、後継者が打ち出すビジョン・戦略は、他社と似たようなものになってしまう。それが企業にとって本当に良いことなのだろうか。
古い話だが、松下幸之助は末席の取締役だった山下俊彦を25人抜きで後継者に指名した(いわゆる「山下飛び」)。こうした思い切った人事は、社外取締役には絶対に不可能だ。もちろん思い切った人事は大間違いをしてしまう可能性があるが、そういう場合、社外取締役がストップを掛ければよいのだ。
今回の一件は、現経営者の間違った人事案に社外取締役が「ノー」を突き付けたという点で、日本のコーポレートガバナンスの大きな前進だ(できれば、取締役会に付議するのを阻止して欲しかったが・・・)。ただ、そこから話しが「社外取締役が後継者の指名に責任を持つべき」という間違った方向に発展しないで欲しいものである。
(日沖健、2016年4月25日)