来年4月に予定されている消費税率の引き上げについて、再延期が議論になっている。当初2015年10月に8%から10%に引き上げられる予定だったが、景気悪化を理由に1年半延期され、2017年4月に引き上げられることになっていた。その際、安倍首相は「リーマンショックや大地震クラスの事態にならない限り引き上げる」と語ったが、今や与野党を問わず再延期が大勢になりつつある。
再延期を主張する政治家や御用学者は、「前回の引き上げ後、消費が低迷し、景気が悪化した。増税を強行して景気が悪化し、税収が減少したら、元も子もない」と主張する。しかし、そう単純に結論付けて良いものだろうか。
再延期論者が指摘する増税強行のデメリットは、まったくその通りだ。増税分物価が上がるので、所得が一定なら、消費は確実に減る。消費が減ったら景気が悪化し、法人税・所得税が減り、増税で税収減という笑えない事態に陥るかもしれない。
ただし、再延期したらバラ色の未来が約束されかというと、そうではない。再延期によって消費の大幅な落ち込みは回避されるが、あくまで現状維持であり、消費が増えるわけではない。今後、高齢化による社会保障費の負担が増大することから、国民は生活防衛のために節約志向を強める。増税してもしなくても程度の問題で、消費減少というトレンド自体は変わらない。
再延期するのは簡単だが、では、いつになったら増税するのだろうか。昨年末まで増税再延期という話しはなかったのに、年明け以降にわかに大合唱が始まったのは、昨年2万円あった日経平均株価が1万5千円に急落したためだ。ショックと言えばショックだが、国会で過半数を握る安定政権がこの程度のことでいちいち延期するようでは、将来増税は極めて困難だろう。
日本では、国の借金が1000兆円を超え、GDP対比238%と主要国では断トツの危機的な財政状況だ(2位のイタリアは149%)。しかも、平成27年度当初予算は、国債除きの歳入が59兆円に対して、歳出が73兆円と赤字で、今後も借金が膨らみ続ける。「2025年問題」と言われるように、団塊の世代が後期高齢者になる2025年頃には、今後相当厳しい財政再建策を進めたとしても危険な状態に陥ると懸念される。
現在、S&Pやムーディーズによる日本国債の格付はA+で、中国・韓国より低く、先進国で最低レベルだ。ただ、それでもA格を保っているのは、日本は諸外国に比べて消費税率が低く、税率を引き上げる余地が大きいからだとされる。今回、増税再延期で「日本では今後増税は不可能」という評価になると、財政再建は遠のき、格付は下がり、遠くない将来、日本国債が市場で消化できないという事態が起こりうる。
再延期論者は、「国の借金は多いが、家計には1741兆円もの金融資産があるので、問題ない」とあっさり言う。しかしこれは、国民の財産を預金封鎖で没収することを意味する。理屈上は可能でも、民主主義国家において簡単にできることではない。実際には、第2次世界大戦の前後と同じように、日銀による国債の直接引き受け、必然的にハイパーインフレという非常手段によって“解決”されることだろう。
つまり、増税再延期は、格下げ・国債暴落・ハイパーインフレという日本破滅のリスクをこれまでより格段に高めるわけだ。
この問題で難しいのは、増税強行と再延期のデメリットを比較しにくいことだ。増税強行のデメリットは、来年4月という近未来にほぼ確実に表れるが、ダメージは比較的小さい。それに対し、再延期のデメリットは、数年単位の中長期で起こることで、実際そうなるかどうかはやや不確実(たとえば、将来爆発的に経済成長して法人税が増えれば問題は解決される)だが、起こったらダメージは破壊的だ。
個人的には、予定通り増税するべきだと考える。増税しないなら、法人税など他の税収を劇的に増やすか、社会保障費など歳出削減に取り組む必要があるが、どちらも極めてハードルが高く、破滅的な結末を迎えるシナリオを無視できないからだ。
残念なのは、こうした本質的な議論が一向に深まらず、増税再延期が与野党の政争の具になっていることだ。自民党は、「再延期について国民に信を問う」として衆参ダブル選挙に持ち込み、憲法改正に突き進みたい。野党は、再延期を「政権の公約違反」として安倍首相を退陣に追い込みたい。
財政破たんも悲劇だが、国家の命運がかかっているのに政治家が政争に明け暮れるのも、劣らず嘆かわしい悲劇である。
(日沖健、2016年4月11日)