日本はチャリティ後進国か?

先日、フェイスブック創業者のザッカーバーグ会長が持ち株の99%を寄付すると発表して話題をさらった。寄付額は5兆5千円に及ぶという。実質的に節税対策で、偽善だという批判もあるようだが、いずれにせよアメリカらしいスケールの大きい話しだ。

といったビッグニュースはさておき、12月は寄付の季節である。日本でも街中で寄付金集めのチャリティ・イベントが始まっている。私は寄付があまり好きでないのだが、街頭で募金集めなどしているのを見ると、つい財布の紐を緩めてしまう。

イギリスのチャリティエイド財団がまとめた「World Giving Index」によると、調査した135か国のうち、チャリティに最も熱心なのはアメリカとミャンマーで、日本は90位だった。日本はチャリティ後進国のようだ。

日本の寄付が少ない理由については、色々な説明(言い訳)がある。日本人はお隣さん同士が引っ越しの手伝いをしたり、子供の面倒を見たりしている。アメリカ人のように寄付というお金の形ではなく、日ごろから相互扶助をしているのだ。だから、日本人が他人に冷淡だという批判は当たらない・・・。

ビジネスの世界でも日本人は相互扶助をしている。アメリカ企業の従業員1人当たりの教育研修費用は、日本企業の3-4倍に及ぶという。ただ、従業員同士はライバルのアメリカ企業では、同僚・上司に仕事の相談をすることができない。そこで、クレームをどう処理するか、決裁書をどう書くかといった些細なことまでいちいち研修を開いて教えている。OJTで従業員同士が教え合う日本企業と何でもかんでも研修するアメリカ企業のどちらが教育熱心か、微妙なところだ。

こうした日本の相互扶助の良さは、外国人には理解されない。数字を使って白黒つけることを好むアングロサクソンの目線では、「日本人は冷淡だ」ということになってしまう。政府は、こうした日本人のネガティブ・イメージを払しょくするよう努めてほしいものである。

ただ、富裕層が巨額の寄付をするアメリカが1位なのはわかるとして、ミャンマーが同じく首位というのは意外だ。信仰心が厚い仏教徒の国だからだろう。同じ仏教国のミャンマーと比較して、日本人が冷淡であることは間違いない。日本では高齢化・過疎化で地方のコミュニティが崩壊し、職場でも人間関係が希薄になり、相互扶助がなくなりつつある。ランキングから、地域社会や職場での相互扶助のあり方を考える必要がありそうだ。

ところで、先ほど「私は寄付があまり好きではない」と述べたが、寄付そのものが嫌いなわけではない。寄付(やボランティア)だけが善で、寄付以外の社会貢献に価値を認めない全体主義的な社会の風潮に嫌悪感を覚えるのだ。

たとえば、次の二人の若者をどう評価するべきか。田中さんはフリーターで年収200万円足らずなのに、わずかな収入の中から毎月1万円寄付をしている。休日はボランティアに精を出す。鈴木さんは起業家で、創業した会社は法人税や鈴木さんと従業員の所得税を毎年約10億円払っている。仕事一筋で、週末は新しい事業の検討や経営の勉強に費やす。

最近の風潮では、田中さんは社会に貢献する偉い人、鈴木さんは自分のことしか考えない身勝手人間ということになる。しかし私に言わせると、自分の能力を伸ばし、個性と能力を生かし、雇用・納税という形で大きな社会貢献をしているという点で、鈴木さんは素晴らしい。田中さんはおそらく人格者なのだろうが、生き方には賛同できない。田中さんには、「ボランティアする暇があったら、まずスキルアップして定職に就いて、将来、生活保護を受けて社会に迷惑を掛けることがないようにしろ」とアドバイスしたい。

人として大切なのは、能力を磨き、個性・能力に合った仕事に勤しむことだ。その結果が社会の発展に寄与するなら最高だ。ちょっと成功するとロータリークラブなど社会貢献活動にのめり込む経営者が多いが、ボランティアに経営者の個性・能力があるとは思えない。経営者は、ザッカーバーグ会長に感銘を受けて「俺も寄付をしよう」と考えるのではなく、まずザッカーバーグ会長のように社会を変える革新的な事業を創ることを志してほしいものである。

(日沖健、2015年12月14日)