今月8日に行われたミャンマーの総選挙で、アウン・サン・スー・チー党首が率いる野党、国民民主連盟が過半数を獲得した、ミャンマーでは1960年代から半世紀以上に渡って軍事政権が続いたが、選挙の結果を受けて政権交代が実現する。長く国際政治問題だったミャンマーの民主化改革は、歴史的な節目を迎えた。
アメリカなど西側諸国は、軍事政権が率いるミャンマーとの国交を断絶し、経済制裁を課してきた。民主政権の誕生によって国交が回復し、経済制裁が完全に解除され、ミャンマーが経済発展することが期待される。
ただ、期待も大きい反面、不安もある。一つは、スー・チー党首が大統領に就かずに国家を支配することだ。スー・チー党首は、2人の息子が英国籍のため憲法の規定で大統領に就任することができない。ところがスー・チー党首は、選挙後「新政権は自分がすべて決める。大統領には権限はない」と発言している。
軍事政権に対して法による支配を訴えてきたスー・チー党首が自ら法律を軽視するのは、にわかに信じがたいことだ。今はスー・チー党首が圧倒的な人気を集めているので問題ないが、次期政権の政策が行き詰まったときなど、独裁的な手法が問題になりそうだ。
そのスー・チー党首の政治家としての力量も、まったく未知数だ。民主化運動のリーダーとして、幾多の困難を乗り越えてここまでたどり着いた功績は素晴らしい。しかし、明確な国内の敵を相手に戦うのと、多様な利害を持つ他国と関係を結んで国家をかじ取りするのでは、ずいぶん勝手が違う。また、政権に就くまでは政治闘争が大切だが、政権奪取後は経済政策の比重が増す。
しかも、スー・チー党首を支える国民民主連盟のメンバーがはなはだ心もとない。スー・チー党首の人気ばかりが突出し、彼女に続くナンバー2が不在だ。幹部は民主化運動の市民活動家など素人ばかりで、十分な教育を受けた者や国際経験を持つ者がいない。
国際的な批判を浴びてきた軍事政権だが、現在のテインセイン政権は2011年の発足以降、積極的に改革開放を進め、東南アジア随一の経済成長を実現している。政権交代で民主化は前進しそうだが、こと経済に関しては、軍事政権に比べて改善するかどうか微妙だ。
開発独裁と言われるように、ミャンマーに限らず発展途上国では独裁政権が強権的な手法で国内政治を安定させ、経済政策に集中することで発展する場合が多い。ただ、発展して国民が豊かになると、政治的な自由を求めるようになる。やがて国民の熱狂的な支持を集める民主政権が独裁政権にとって代わる。
民主政権は、国民や支持者らと合意形成して民主的に政権運営する。リーダーやリーダーを支える官僚・ブレインが有能ならそれでもうまくいくかもしれないが、無能だと、合意形成に手間取り、思い切った政策を打てず、混乱を招く。国民の政治的な自由と経済的な豊かさを両立させるのは容易なことではない。
高成長を続けた新興国が失速し、先進国の仲間入りをできないことを“中所得国の罠”と言う。失速の原因が民主化にあるとすれば、“民主化の罠”と言い換えることができよう。
朴正煕大統領の独裁政治から民主政権に移行しても経済成長を続けた韓国は、民主化の罠を乗り越えた稀な例だ。シンガポールは、民主化する前に先進国になった。しかし、マレーシアや「アラブの春」が失敗に終わったアフリカ諸国のように、民主化の罠に陥るケースが多い。もちろん、今後の最大の注目は中国だ。
オーナー経営の企業でも、創業社長から2代目にバトンタッチするとき、この問題が発生する。実績もカリスマ性もない2代目は、周りの意見を聞いて集団指導体制を取る。オムロン、村田製作所、長瀬産業など関西企業には集団指導体制に移行して成功したオーナー経営企業もあるが、これは例外で、日本全体にはパナソニックに代表されるように、集団指導体制になって失速する企業が圧倒的に多い。
この問題を解決する秘策はないが、独裁政権や創業社長が次代の指導者や幹部層を育成しておくことが大切だ。ミャンマーについては、軍事政権が官僚の育成に取り組んできたので、スー・チー党首は過去の怨念を忘れて軍事政権の人材を積極的に登用してほしいものである。
(日沖健、2015年11月23日)