経営戦略のコンサルティングや研修・講演をしていて、数年に一度困った事態に直面する。最も悩ましいのは、経営戦略における分析が曖昧であることや定性的な意思決定が多いことに対する批判である。とくに、製造業での実務経験が長いベテランから、そういう批判を受けることが多い。
コンサルティングの進め方を学ぶある研修で、私がコンサルティングにおける仮説の重要性を説明したところ、生産管理を専門にしているコンサルタントのAさんが強い調子で口をはさんできた。「私は“現地現物”(事実が起きている現場に出向き、事実を確認すること。トヨタ用語)をモットーにしている。だから、私はコンサルティングで仮説を考えることはない。事実だけに基づいてコンサルティングをしている」と言う。そして、「なんとでも言える仮説に基づいてコンサルティングを進めろという日沖さんの考えは間違っている」と私を批判した。
私は、「でも、Aさんは、すべての現場を常時見ているわけじゃありませんよね。長年のご経験から、『こういうラインの立ち上げではおそらく不良が多く出るだろう』とか、『あの作業現場だと小ロット対応は難しいんじゃないだろうか』とか仮説を作って、仮説に基づいて重点的に現場を見ているのではありませんか?」と説明した。
Aさんは言葉に詰まって、何も言い返さなかった。私の説明で少しは自分の誤りに気づいたようだが、納得した様子ではなかった。
ある企業で経営戦略の研修が終わると、受講者のBさんが私のところにやってきて、研修内容を批判した。「今日の講義は、定性的な話、しかも複数の答えが考えられますというあいまいな話が多く、説得力がなかった。企業の現場では、定量的な意思決定以外には意味がない」。
私は、「たとえばBさんが所属する事業部が100億円の赤字で、社員が500人余っているとしましょう。社員をリストラするべきかどうか、定量情報だけで判断できますか。社員の皆さんの生活、他部門や地域社会への影響など定性的な要因を考慮するのではありませんか。現場レベルの意思決定では定量情報が重要ですが、経営の上層部になるほど定性情報が重要になってくるはずです」と説明した。
Bさんは、「私は経営者じゃないから・・・」と言い残し、不満そうな表情で立ち去って行った。
二人の主張は、実によく似ている。数字・データは信頼できるが、概念・仮説は信頼できない、というわけだ。この二人のように、とくに製造業での経験が長いベテランは、数値やデータを盲信する一方、仮説や複数の答えがあるような曖昧な状況を毛嫌いすることが多い。データ原理主義者とでも言えようか。
しかし、数値・データといっても、何らかの仮説に基づいて収集するわけだし、何らかの価値基準に基づいて決定することが多い。たしかに、その仮説や価値基準の出発点はデータなのだが、データを集めれば自動的に良いアイデア・決定が生まれるということはない。数値・データそれ自体に価値はないのである、
たいていの方は、こうした私の考えを柔軟に受け入れてくれる。しかし、「私は事実をありのままに見ている」と一見柔軟性がありそうなことを言う人に限って、実はガチガチのデータ原理主義者で、私の考えを受け入れようとしない。過去、私がデータ原理主義者に上記のような説明をして、大きく考えを変えてもらったという経験はない。
研修・講演なら、立腹したデータ原理主義者は二度と私の前に顔を出さない。こういう人が物知り顔で若手を指導していると思うと暗澹たる気持ちになるが、個人的には何か困るわけではない。
厄介なのは、コンサルティングだ。コンサルティングは、複数のメンバーと協力して、数か月から数年の長期間を掛けて実施する。メンバーの中にデータ原理主義者がいると、コンサルティングの進行や成果が明らかに悪くなる。つまり、延々とデータ収集を続けてしまう、現場の声を集約するだけで独創的な問題解決策が生まれない、という事態に陥る。
一旦メンバーになったデータ原理主義者の考えを改めてもらうのは不可能だ。コンサルタントは、初期のメンバーの選定において、データ原理主義者が入り込まないように細心の注意をするべきであろう。
(日沖健、2015年9月21日)