2020年の東京オリンピック・パラリンピック組織委員会は、先週、佐野研二郎氏がデザインしたオリンピック・パラリンピックのエンブレムの使用を取り下げることを決定した。大会エンブレムを巡っては、ベルギーのデザイナーが2年前に制作した劇場のロゴマークに酷似しているとして訴訟を提起しており、佐野氏から取り下げの申し出があったという。
組織委員会も佐野氏も、盗用を認めていないが、佐野氏には他にも数々の盗作・盗用疑惑が持ち上がっている。これ以上無用な混乱を招かないためには、妥当な決定である。
しかし、これで「やれやれ一件落着」としてもらっては困る。組織委員会の武藤事務総長は、「金額的に大したことない」「誰が悪いというわけではない」などと責任逃れに終始としているが、昨年の小保方晴子氏のSTAP細胞問題に続いて日本の国際的信用を大いに傷つけおり、責任がないはずがない。少なくとも、選考プロセスは公正だったのか、佐野氏の作品について盗用のチェックは十分だったか、問題発生後もっと迅速に対応できなかったのか、といった点をしっかり検証し、今後に生かしてほしいものである。
組織委員会は、新しいエンブレムを公募で選ぶという。前回も公募だったが、すでに主要なデザイン賞を受賞した一流デザイナー、しかも広告代理店系のデザイナーに限定されており、オリンピック利権が絡んだ出来レースだと批判を浴びた。完全な公募にすれば、国民のオリンピックへの関心・参画意識が大いに高まるし、有望な新人デザイナーを発掘できる。まさに一石二鳥だ。
広く国民からの公募というと思い起こすのは、明治政府が実施した建白書である。討幕で誕生した明治政府は、封建国家を脱して近代国家を創ろうと意気込んだが、なにせ人材も官僚機構もない。そこで、「万機公論に決すべし」という方針の下、広く国民から国づくりの意見・アイデアを「建白書」として募った。
この政府の呼びかけに応じて、全国から続々と建白書が寄せられ、なんと4万余の建白書が集まった(そのうち約2千点は国会図書館に残されている)。後に帝国議会が設立されるきっかけとなった民撰議院設立建白書が有名だが、政治だけでなく、産業・社会制度・暮らしに至るまで、実に多種多様な分野に及んだ。
福沢諭吉など著名人も応募したが、大半は一般国民だった。自分たちの手で新しい国家を作ろうという熱意で、地方から徒歩で建白書を持参した有志も多かった。そして、帝国議会設立だけでなく、数多くのアイデアが採用され、実現した。明治維新というと西郷隆盛のような政治家ばかりが注目されるが、国民が主役になり、国民が一体となって新しい近代国家を創り上げたのである。
オリンピックのエンブレムだけでなく、新国立競技場の設計も公募にできないものか。スポーツに限定せず、“現代版建白書”として政治・経済・社会などあらゆる分野で国民のアイデア・意見を募ってはどうだろうか。
シュムペーターによると、イノベーション(革新)は「経営資源の新結合」である。限られた秀才が知恵を絞るよりも、凡庸でもたくさんの人が試行錯誤を繰り返す方が斬新なイノベーションを生み出しやすい。
しかも、現代はインターネットの時代だ。何日もかけて徒歩で上京した明治初期と比べて、個人が意見・アイデアを発信するのは格段に容易になった。ますます公募が有効な時代になっている。
今日の日本は、人口が減少し、経済が衰退し、企業が競争力を失い、財政が危機的な状態に陥っている。それも大いに心配だが、さらに心配なのは、国民が「もう我々日本人は何をやってもだめなんだ」と意気消沈し、諦めムードに包まれてしまっていることだ。もう一度明治維新を、しかも政治家と官僚が主役の維新でなく、国民が主役の維新を起こす必要がある。国民の闘争心に火を点けるには、公募は極めて有効だ。今回の件をきっかけに、公募が注目を集めることを期待したいものである。
(日沖健、2015年9月7日)