日銀が進めてきた金融緩和政策が胸突き八丁を迎えようとしている。
先月30日に開催した金融政策決定会合で、2015年と2016年の物価見通しを引き下げた。また、従来「2015年を中心とした期間」としてきた2%のインフレ率達成時期を「2016年前半ごろ」に後ずれさせた。ただし、「物価の基調は着実に改善している」とし、政策が順調に効果を発揮しているとの認識を強調した。
2013年4月に異次元の金融緩和を始めた際には、目標達成を「2年後」としていた。しかし、国債を年間80兆円も買い増すという常軌を逸した金融緩和にも関わらず、消費税増税の影響を除いた物価上昇率はほぼゼロ(3月は0.2%)に落ち込んでいる。円安・株高にはなったものの、物価・景気は落ち込んだままだ。結果だけで言うと、金融緩和策は失敗だったと判断するより他ない。
物価がもくろみ通りに上昇していない原因について、先週15日の記者会見で黒田総裁は、昨年夏からの急激な原油安を「想定外」と指摘した。そして、原油価格が下げ止まり、賃上げの効果が浸透する今年後半には、物価は再び上昇すると予測している。原油安を除けば想定通りで、失敗という批判は当たらない、というわけだ。
この黒田総裁の説明は、話の筋は一応通っているが、説得力に欠ける。
そもそも金融緩和は、前任の白川総裁が2008年から15回に渡って実施し、ほとんど効果がなかった。それを黒田総裁は「緩和の規模が小さく、戦力を逐次投入したからいけなかったのだ」と断定し、異次元緩和に踏み切った。しかし、やはりその効果はなく、昨年10月には追加緩和を実施している。現在、黒田日銀のシナリオ通り物価上昇率が2%に達すると信じる民間のエコノミストは皆無で、早晩再度の追加緩和に追い込まれるだろうという予測が支配的だ。
過去から繰り返してきた政策が失敗し、目標を達成できなかったら、普通の感覚の持ち主は、「もうすぐ効果が出る」と虚勢を張るのではなく、「何か考え違いをしているのでは?」と反省するものだ。しかし、黒田総裁の辞書に反省という文字はなく、いよいよ大本営化しているように見えてならない。
黒田日銀の重大な考え違いは、「デフレは貨幣現象であり、金融政策によってデフレを解消できる」「デフレマインドが払しょくされれば消費が増え、経済が立ち直る」というものだ。
デフレは、貨幣現象という側面がまったくないわけではないが、弱い実体経済を反映した結果という側面の方が大きい。金融政策によって力ずくで物価上昇率を上げても、実体経済が変わっていない状況では効果は一時的なものにとどまり、デフレが根本から解消されることはない。まして、金融政策による一時的なデフレ解消がデフレの真因である実体経済を変えるということはない。
賃金が上がればGDPの6割以上を占める消費が盛り上がり、投資の拡大、景気回復、物価上昇と好循環が生まれるというロジックも、にわかに信じがたい。たしかに経済学の教科書には、「消費は所得の関数である」と書かれているが、原油安という消費税増税の影響を帳消しにする実質的な所得増加があっても消費が一向に盛り上がっていないという事実をどう考えれば良いのか。
日本で消費が盛り上がらないのは、国民が将来の生活に不安を感じているからだ。長期的に国内の雇用機会の減少や年金の崩壊が懸念される状態では、少しばかり賃上げが実現しても今後も継続すると確信しない限り、ほとんど消費に回さず、将来に備えて貯蓄に回す。日本では、その年の所得ではなく、生涯の合計所得を勘案して消費行動を決めるというライフサイクル仮説の方が実態を反映しているのではないだろうか。
デフレマインドという人々の期待に働きかける黒田日銀の金融緩和政策は、失敗を認めると、国民の信頼を失い、政策そのものが崩壊してしまう。そのため、金融緩和策を止めるまで、「政策はうまく行っている」「効果が出るのはこれから」と言い続けるしかない。この大本営化した黒田日銀に待ったをかけるのは、国債市場の反乱だろうか、それとも安倍総理が改心した場合だろうか。悲劇的な結果が出るその時は、刻々と近づいている。
(日沖健、2015年5月18日)