「走りながら考える」という言葉がある。コラムニストのフェルディナント・ヤマグチ氏が自動車について論評する日経ビジネスオンラインの人気コラムのタイトルは、「走りながら考える」だ。元陸上選手・為末大氏も同名の書を著している。自動車や陸上競技については、実際に走ってみないと良い評論を書けないから、「走りながら考える」ことは大切だ。
ビジネスの世界でも、「走りながら考えろ」とよく言われる。誰が最初に言いだしたのかはわからないが、1990年代後半以降、ベンチャー企業の経営者などが「走りながら考える」こと、スピード感を持って経営することを力説するようになった。「立ち止まってのんびり考えていたら、時代の変化に取り残されてしまうぞ」というわけだ。あのビル・ゲイツは、『思考スピードの経営』という本を書き、ITをベースにしたスピード経営の重要性を説いている。
たしかに、変化が激しいベンチャービジネスやグローバル・ビジネスでは、競合他社に先んじて行動することが大切だ。私はサラリーマン時代にシンガポールに勤務した経験があるが、現地の石油トレーディングで勝つのは、地元の独立系トレーダーや韓国系のトレーダーだった。彼らは、日本の商社や元売と比べて、人材・資金など基本的なビジネスの力では劣るが、意思決定と行動のスピードでビジネス・チャンスをものにしていた。
逆に、日本の商社や元売は、日本の本社に相談してから行動することが多いので、ビジネス・チャンスを逃す場面が多かった。地力がありながらスピードで負けてしまうというのは、日本企業がグローバル市場でよく見る光景だ。
ということで、スピード感を持って決定し、他社に先んじて行動することは極めて大切だ。しかし、考えることと行動することを同時にするのは、本当に良いことだろうか。「走りながら考える」ことには、実は重大な問題がある。
まず、「二兎を追う者は一兎をも得ず」ということわざがある通り、人間は、2つの異なることをするのは得意ではない。よほど天才的な人は別にして、思考と行動を同時に行うと、どっちつかずになってしまい、どちらも悪い結果になってしまう。
それと関係するが、行動を止めずに考えると、現在の行動を否定する大胆な発想をするのが難しくなる。ある大手メーカーで長年不採算が続く事業の責任者を任せられたA氏は、就任後「走りながら考える」と宣言して、矢継ぎ早に対策を打った。ただ、その対策は、現在の顧客・事業システム・生産体制を継続することを前提にした改善で、事業のあり方を抜本的に見直す改革ではなかった。そのため、事業の延命はできたが、立ち直ることはなかった。
ビジネスにおいて「走る」とは、オペレーションを動かして、顧客に製品・サービスを提供し続けることだ。しかし、ビジネスの仕組みを変えるよう抜本的な改革をするには、現在のオペレーションを大きく見直したり、顧客のターゲットを変更したりする必要が出てくる。これは、「走りながら」ではできないことだ。
いま多くの日本企業で必要とされているのは、「走りながら」できるような小手先の改善ではなく、事業の抜本的な改革であろう。「走る」のを止めて、一歩立ち止まってじっくり考える必要がある。
一歩立ち止まって考え、抜本的な改革をするというのは、経営者にとって勇気のいることだ。現在の顧客を手放してしまうかもしれない。改革した事業がうまく行くとは限らない。
「俺は走りながら考える」というと颯爽としてカッコ良い印象だが、実はA氏のように、大改革に踏み出す勇気のない経営者が自分の行動を正当化するために使う常套句なのかもしれない。ただ単にスピード経営を強調しているのか、改革を避けているだけなのか、注意深く見る必要があるだろう。
(日沖健、2014年10月27日)